インディ500 Indianapolis 500

インディ500 Indianapolis 500

インディアナポリス500マイルレース(Indianapolis 500)、通称インディ500は、インディアナ州最大のイベントという枠ではとどまらず、F1(Formula One World Championship)のモナコグランプリ、世界耐久選手権(World Endurance Championship)のル・マン 24時間レースと共に、世界3大レースの一つとして挙げられる、アメリカを代表するモータースポーツの大会です。
インディ500は毎年5月の最終週に、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催されます。モータースポーツの代表的レースですが、その楽しみはレースだけではありません。レースに興味のない人でも楽しめるパレードやパーティ、コンテストなども開かれファミリーにも人気があるイベントです。期間中は街中がお祭り騒ぎで、観客動員数は40万人に至るビッグ・イベントです。

インディ500 の特徴 
インディ500 の歴史 
表彰式とトロフィー
インディ500に挑戦した日本人ドライバー 
佐藤琢磨とインディ500
世界3大レースを制したドライバー 
フェルナンド・アロンソがインディ500に参戦
佐藤琢磨が日本人初のインディ500制覇 101回インディ500
インディアナポリス・モーター・スピードウェイの場所と行き方

インディ500 の特徴

もっとも特徴的なのは、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラックと呼ばれるコースです。約1kmのロングストレートが2本、約200mのショートストレートが2本の4つのストレートをつなぐターンが4つあります。真上から見ると、角の丸い長方形の形をしたコースレイアウトで、全長は2.5マイル(4023.4m)のコースです。ストレート部分は、ロングもショートも共にフラット(水平)で、コーナーは約9度の傾斜をつけられたバンクとなっています。このバンクが最高速度と周回平均スピードに大きな影響を与えます。コーナーがフラットの場合、レーシングカーが遠心力でコースアウトしてしまわないように、コーナーの入り口で減速する必要があります。当然ながらコーナーの進入やコーナーの走行中は、スピードが落ちてしまいます。しかし、バンクがあると遠心力を相殺してくれるので、極度な減速をしなくても、コーナーを回ることができ、ストレートで最高速に達するまでのタイムロスが少ないのです。基本的にはインディカーでは、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのコーナーはアクセル全開でターンします。(NASCARのストックカーはアクセル全開でターンはできません)
インディー500は最高速度が380km/hに達し、周回レースカテゴリーの中では世界最速を誇ります。しかし、それ以上に驚くのが周回平均スピードが354km/hということなのです。コーナーでも300km/h以上のスピードで走っているのです。

インディ500 の歴史

インディ500の第1回目の開催は1911年で、F1のモナコグランプリ(1929年 初回開催)よりも以前に開催されています。2016年には第100回目の大会が開催されました。(1942年~1945年は第二次世界大戦の影響により開催中止)
1951年から1960年の間は、F1の選手権の1レースとされていたこともありました。1996年以降はインディカー・シリーズのハイライト・レースとなっています。しかし、インディ500の特別性から、インディカー・シリーズにシリーズ参戦していない、他カテゴリーや往年のスーパー・ドライバーなどがインディ500のみのスポット参戦をする事も多く、よりレースが盛りがります。

表彰式とトロフィー

表彰式において、F1などのようにポディウム(表彰台)に上がった上位入賞のレーサーがシャンパン・ファイトをするのではなく、インディ500では優勝者が牛乳を飲むという慣習があります。これは、1933年と1936年に優勝したルイス・メイヤーが牛乳を飲んでいるシーンが牛乳会社の目に留まり、その後に牛乳会社がスポンサーとなり、優勝者がヴィクトリーレーンで牛乳(Winner’s Milk)を飲む行為に対して、スポンサーフィーが支払われるようになりました。

インディ500の優勝トロフィー「ボルグワーナー・トロフィー」は、優勝者や優勝チームが持って帰る事はできません。何故なら「ボルグワーナー・トロフィー」は、トロフィーと言うよりもモニュメントのような物だからです。トロフィーの壁面には、インディ500優勝者の顔のレリーフが埋め込まれ、下のブロックに優勝者の氏名などが刻み込まれます。
このトロフィーは、普段はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの博物館に展示されており、インディ500決勝日にヴィクトリーレーンに飾られます。
インディ500優勝者は、決勝翌日にこのトロフィーの前で記念撮影をすることが許されます。

インディ500に挑戦した日本人ドライバー

ヒロ松下、桃田健史、松田秀士、服部茂章、中野信治、高木虎之介、ロジャー安川、松浦孝亮、武藤英紀、佐藤琢磨。(2017年現在)
2003年は日本人で5人目のF1フルタイムドライバーだった中野信治と、6人目の高木虎之介が参戦して、日本でも話題になりました。この時、トヨタエンジンを搭載したモー・ナン・レーシングからエントリーした高木虎之介は5位に入り、日本人ドライバーのインディ500での最高位となりました。

佐藤琢磨とインディ500

2002年から2008年までF1に参戦し、2004年のアメリカGPで日本人最高位タイの3位に入りポディウム(表彰台)に登ったことで人気の高い佐藤琢磨が、2010年からインディカー・シリーズに参戦。
2012年のインディ500では、199周目(全200周)に2位に浮上。ファイナルラップでトップを走るダリオ・フランキッティのスリップストリームを捉えることができた佐藤琢磨に、インディ500での日本人初のポディウム(表彰台)かと、湧き上がる中、なんと佐藤琢磨はコーナーでダリオ・フランキッティのイン側を突いて抜きに掛かりました。しかし、タイヤがスリッピーな白線を踏んでしまったために、一瞬でグリップを失いスピンしウォールに激突。最終的には17位でインディ500を終える事になりました。
この最終ラップのレース展開の結果に対して佐藤琢磨は2位になれなかったことに悔いることはなく「No Attack No Chance」のコメントを残しましたが、レース界やファンの間では賛否両論でした。
しかし、インディ500を4度制したA・J・フォイトが、この佐藤琢磨のアタックを見て、A.J.フォイト・エンタープライズに獲得する事を決めたことにより、この論争に終止符が打たれました。
A.J.フォイト・エンタープライズに移籍した佐藤琢磨は、その初年2013年の第3戦ロングビーチでインディカー日本人初優勝を飾りました。
2017年シーズンは、A.J.フォイト・エンタープライズが、エンジンサプライヤーをホンダからシボレーへ変更したため、佐藤琢磨はA.J.フォイト・エンタープライズを離脱することとなり、ホンダエンジンを搭載し、近年では2014年にライアン・ハンター=レイが、2016年にアレクサンダー・ロッシがインディ500で優勝したチーム、アンドレッティ・オートスポーツに移籍しました。そして、日本人初のインディ500制覇を成し遂げました。
佐藤琢磨が日本人初のインディ500制覇 101回インディ500

第103回インディ500(2019年)は、2018年に移籍したレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングで参戦。予選14番手からスタートだが、200周という長丁場のインディ500であれば、優勝を狙えるポジション。しかし、37周目の最初のピット作業でトラブルが発生し、ホイール・ナットの緩みが懸念されたために40周目に予定外のピットイン。コースインした時点では、トップからは2ラップダウンの31番というポジション。他車のクラッシュによるイエローコーションのタイミングが幸いし、177周目最後のピットストップに入る直前にトップを走行した後に最後のピット作業へ。その最中に多重クラッシュが発生し、赤旗中断となり、残り20周で再スタートの時点では、7番手スタートと言う好ポジション。残り10周程のところで、優勝争いするシモン・パジェノーとアレクサンダー・ロッシの背後につけ、隙を伺うがバトルに加わることができず3位でフィニッシュ。優勝したシモン・パジェノーとは、わずか0.5秒差であった。

第104回インディ500 2度目のインディ500制覇
新型コロナウイルスのパンデミックために、2020年のインディ500決勝は、8月23日に延期となり、無観客での開催となった。佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)は予選3番手フロントロウからスタートし、2度目のインディ500制覇を果たした。

世界3大レースを制したドライバー

インディ500と、F1モナコグランプリ、世界耐久選手権ル・マン 24時間レースの、世界3大レースを制したドライバーはたった一人、イギリス人ドライバーのグラハム・ヒル(Graham Hill)だけです。
グラハム・ヒルは、1962年と1968年にF1ワールドチャンピンになっています。特にモナコを得意とし、1963年、1964年、1965年、1968年、1969年の5回も勝利したことからモナコ・マイスターと呼ばれていました。
グラハム・ヒルは、1966年にインディ500、1972年にル・マンで優勝しています。
ちなみに、コンストラクター(車体製造者)として3大レースを制したメーカーは、メルセデスとマクラーレンのみです。

フェルナンド・アロンソがインディ500に参戦

2017年04月12日、レース界に衝撃のニュースが流れました。
現役F1ドライバーでトップドライバーの一人、フェルナンド・アロンソが2017年のインディ500に参戦するとの事。
アロンソは「世界3大レースを制覇する事が夢だ」と公言していましたが、インディ500の開催日はF1モナコグランプリの開催日と同日です。F1をフルタイムでエントリーしている以上、本来は無理な話です。
しかし、いくつかの幸運な現実と不幸な現実が絡み合い、2017年のインディ500に参戦することとなりました。
不幸な現実とは、アロンソがF1でエントリーしているチーム、マクラーレン・ホンダの不調です。2015年にホンダがF1に復帰して、マクラーレン、ホンダ、アロンソの組み合わせでF1制覇を目指すはずのプロジェクトが、3年目に入ってもトップチームと絡むだけの戦闘力のあるマシーンを作ることができません。現役ドライバーの中でNo1と言われるアロンソでも3度目のワールドチャンピオンを目指すのは、不可能と言い切ってもいいぐらいのポテンシャルのマシーンです。
幸運な現実は、インディ500の過去10戦において、ホンダ8勝シボレー2勝と、ホンダ勢が大きく勝ち越していることです。
2016年シーズンは、ホンダエンジンを搭載するアンドレッティ・オートスポーツのレースカーに乗ったアレクサンダー・ロッシが優勝しました。2017年、アロンソはこのアンドレッティ・オートスポーツがレースオペレーションを担当し、マクラーレン・ホンダ・アンドレッティとしてエントリーしました。
一時トップを走り、優勝が期待されましたが、残り21周でエンジントラブルにより、リタイアしました。

2018年のル・マン24時間レースに、トヨタ・ガズー・レーシング(TOYOTA GAZOO Racing)からエントリーして優勝を果たし、トリプル・クラウンにリーチをかけたアロンソは、2018年のシーズンを終了時点でF1を離れ、2019年のインディ500に、マクラーレンとカーリン・レーシングのタッグチームで挑戦することになりました。2017年にF1でのホンダとマクラーレンのパートナーシップが解消されましたが、その時のマクラーレンの一方的な対応に、両社の関係は拗れ、エンジンはシボレー製。そして、予選落ちという結果に終わりました。

2020年のインディ500は、シボレーエンジンを搭載した、マクラーレンとアロー・シュミット・ピーターソン・モータースポーツが組んだ、アロー・マクラーレンSP(Arrow McLaren SP)から出走しました。結果は21位でした。

佐藤琢磨が日本人初のインディ500制覇 101回インディ500

F1現役のトップレーサーの一人であるフェルナンド・アロンソが101回インディ500に参戦するということで、アメリカだけでなく世界中が注目する事となった101回インディ500。このレースで、佐藤琢磨が優勝して、日本人では初の快挙を成し遂げました。
佐藤琢磨は、予選4位の好ポジションからスタートするも、3回目のピットストップのタイヤ交換中にピットクルーがホイールナットを落としてしまうというミスがあり、大きく順位を落としてしまい、一時は17番手まで順位を落としたが、以降のピット作業は順調で、徐々に順位を上げていく。
101回のインディ500は、200周を周回するレース中にトップが35回入れ替わり、レース記録となる15選手が首位を走行するという大混戦となり、エンジントラブルや多重クラッシュによるイエローコーションが多発する中、佐藤琢磨はポジションを上位まで上げていきました。そして、残り11周の時点でトップ争いが、トップを走る元F1ドライバーのマックス・チルトン、インディ500を3度制しているベテランのエリオ・カストロネベス、ルーキーながら善戦しているエド・ジョーンズと佐藤琢磨の4人に絞り込まれました。
カストロネベスが、192周目に佐藤琢磨、194週目にはマックス・チルトンを抜いて首位に立ち、4度目のインディ500優勝かと思われましたが、チルトンを抜いて食い下がる琢磨は195周目にカストロネベスをアウトサイドから抜いて首位に立ち、サイド バイ サイドで残り3周に突入。残り周回をアクセル全開のままアタックし続け、カストロネベスに0.2011秒の差をつけてゴールしました。
予選4位という成績も日本人で最高位の記録でしたが、決勝も日本人初の優勝となり日本のレース界に名前を刻む快挙となりました。
賞金は、優勝賞金と17周のトップ走行の賞金などを含んで総額245万8,129ドル(約2億7279万円)の賞金を手にしました。
また、インディ500で日本人初優勝という歴史的快挙を成し遂げたという事で、総理大臣顕彰が贈られ、8月4日に首相官邸で顕彰式が行われる。

F1モナコグランプリを欠席して、インディ500に挑戦したフェルナンド・アロンソは、全部で27周もトップを走る快走を見せましたが、惜しくも180周目にエンジンブローのためにリタイアとなってしまいました。
レース後のインタビューで「現時点での最優先事項はF1でのタイトル獲得」と明言した上で「インディ500制覇は達成できていないので、挑戦を続けていかなければならない。」とコメントしました。
因みにフェルナンド・アロンソは、101回目にインディ500のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの賞金5000ドルと27周のトップ走行の賞金を含んで、305万805ドル(約3393万円)を手にしました。

インディアナポリス・モーター・スピードウェイの場所と行き方

Indianapolis Motor Speedway 4790 West 16th Street, Indianapolis, IN
インディアナポリス国際空港から、インディ500が開催されるインディアナポリス・モーター・スピードウェイまで車(レンタカー)で行く場合の一例

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