マサソイト像 ワンパノアグ族の酋長マサソイトの像
マサソイト像(Massasoit Statue)は、マサチューセッツ州 ボストンの中心地から、南東方向に直線距離で約35マイル(56km)のプリマス、プリマス・ロックの近くの丘の上に建っている。
⇒ マサソイト像の場所と行き方
1620年にイングランドからメイフラワー号に乗ってやってきたピルグリム達が、アメリカに入植したが、寒さや飢えに苦しんでいた。酋長マサソイトに会いに来ていたアベナキ族の酋長サモセットが、ピルグリムに話しかけ、ピルグリムが窮地に陥っていることを知り、英語を話すことができるワンパノアグ族のスクアントを紹介した。スクアンが、この地に適した農法や漁法をピルグリムに教えた結果、ピルグリムは冬を越すことができた。
春になり、ワンパノアグ族とピルグリムが平和と友情の条約を結ぶことになり、スクアントが酋長マサソイトとピルグリムの仲介をした。
ワンパノアグ族とピルグリムは友好的になった。ピルグリムは、秋の豊作を神とワンパノアグ族に感謝し、ワンパノアグ族を招いて収穫祭を開いた。ワンパノアグ族も5頭の鹿を携えて、祝宴に参加した。これが、感謝祭(Thanksgiving Day)の始まりと言われている。
ワンパノアグ族とピルグリムの友好な関係は、マサソイトが亡くなり、新しい入植者が増えてワンパノアグ族の土地に入植地を拡げるようになって崩れていった。マサソイトの後を継いだ息子のワムスッタが抗議に行った帰りに病死した。これは毒殺されたと言われている。弟のメタコメットが酋長となり、好き放題する入植者に関して、イギリス植民地政府に抗議をしても無視され、ワンパノアグ族は実力行使にでて争いに発展し、後に「フィリップ王戦争」と呼ばれる大虐殺となり、約5000人と推測されていたワンパノアグ族は400人ほどまで激減した。
全米哀悼の日
ワンパノアグ族のワムスッタ・フランク・ジェームズがリーダーのユナイテッド・アメリカ・インディアン・オブ・ニューイングランド(United American Indians of New England)は、毎年11月に、プリマスに上陸したピルグリムを讃えて行われる「上陸記念感謝祭」に対する抗議運動である「全米哀悼の日」(National Day of Mourning)を行っている。
協力:Destination Plymouth County
プリマスの観光ポイント一覧
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マサソイト像の場所と行き方
Massasoit Statue 35 Carver St, Plymouth, MA
ボストン/ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港からレンタカーで行く場合の一例。
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