ユリシーズ・グラントの家
ユリシーズ・グラントは、南北戦争の際、北軍の将軍として活躍し、北軍を勝利に導いたことから英雄と讃えられました。
1865年8月18日、ガリーナに凱旋した時、ガリーナの人々の寄付により見晴らしの良い丘の上に建てられた家を送られました。この家には、ユリシーズ・グラントが第18代大統領になる1869年まで住んでいました。
この家は、グラントホーム州立史跡としてイリノイ州歴史保存局によって管理されており、有料(寄付金)で一般公開されています。月曜日、火曜日は見学できないのでご注意ください。
ユリシーズ・グラント
ユリシーズ・グラントは、1822年4月27日にオハイオ州クラーモント郡ポイント・プレザントで生まれました。本名はハイラム・ユリシーズ・グラント(Hiram Ulysses Grant)ですが、陸軍士官学校に入る時に間違って「ユリシーズ・S・グラント」と登録されました。それ以来、ユリシーズ・S・グラント(Ulysses S. Grant)と名乗るようになりました。軍人になったグラントは、米墨戦争に従軍し、いくつかの戦いでの功績で中佐まで昇進しますが、多量飲酒のため、1854年7月31日に退役します。 イリノイ州ガリーナで、父親が営む皮革・金物店を手伝ったりしていましたが、1861年に南北戦争が勃発した際、志願兵を引き連れて北軍に加勢し、大佐として第21イリノイ歩兵連隊(21st Illinois Volunteer Infantry Regiment)を率いりました。
下院議員エリフー・ウォッシュバーンがリンカーン大統領に進言し、グラントは志願兵の准将に昇進しました。
その後、ヘンリー・ハレック将軍の下で南東ミズーリ戦線を任かされます。
開戦時は、名将ロバート・リー将軍が率いる南軍が優勢でしたが、1862年2月ヘンリー砦の戦い、ドネルソン砦の戦いで西部戦線を支配し、シャイローの戦いでは南軍の奇襲をかわして撃退に成功します。
グラントの戦績を妬んだハレック将軍は、飲酒癖を理由にグラントを解任しますが、ハレック将軍が東部戦線のポトマック軍司令官に召還されたのを機に、ハレック将軍の後任としてテネシー軍司令官となりました。
1863年4月、南軍の西部での要所であるビックスバーグ要塞を包囲し、7月4日に陥落しました。これにより、南軍は東西に分断され、11月にチャタヌーガで西部の南軍を反撃できない状態まで叩きました。
ビックスバーグ要塞を陥落させた前日に、南北戦争史上最大の激戦といわれるゲティスバーグの戦いで、南軍のリー将軍を撃退したミード指揮官は、リー軍を追撃しきれませんでした。
1864年3月、グラントが北軍総司令官に指名されました。これにより、士官学校でグラントの先輩であるリー将軍と相対することになり、南北戦争の最終決戦へと突入します。
グラントは、北軍の国力を活用し、損害が出ても補充して正面からぶつかる消耗戦で、リー将軍をピーターズバーグまで追い詰め、盟友で部下であったウィリアム・シャーマン将軍を別動隊として動かし、挟撃にでました。
リー将軍は、ピーターズバーグを放棄しジョセフ・ジョンストン軍と合流しようとしましたが、1865年4月9日にバージニア州アポマトックス郡で追いつめられ降伏しました。(正式な降伏は翌日の4月10日)
リー将軍の降伏が、南軍の他の将軍に伝わり、次々と降伏し南北戦争は終わりました。
ユリシーズ・グラントは、英雄として凱旋します。
その後、ユリシーズ・グラントは、1868年の大統領選に勝利し第18代大統領となりました。
政治・経済・軍事の三雄
ユリシーズ・グラントは、第16代大統領エイブラハム・リンカーン、経済力のあった下院議員エリフー・ウォッシュバーンと仲が良かったそうです。
グラント大統領の家の中
カードなどを楽しむゲームルームです。リンカーン大統領やウォッシュバーンとミーティングをしていたのかも知れませんね。
リビングにピアノがあります。奥さんのジュリア・グラントはピアノを弾いていたそうです。
ダイニングルームです。時代やガリーナという田舎町であることを考えると。とても立派なダイニングルームです。
子供部屋の一つです。お子さんは4人いたそうです。
ご夫婦の寝室。
ジュリア・グラント 初めてファーストレディと呼ばれた大統領夫人
グラントホームのすぐ近くにジュリア・グラントの像が建っています。
大統領夫人が、ファーストレディと呼ばれるようになったのが、ジュリア・グラントからだそうです。
⇒ グレート リバー ロード イリノイ 2016 ウォッシュバーン・ハウス に つづく
取材協力:グレート リバー ロード
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グラント大統領の家の場所と行き方
US Grant Home Historic Site 500 Bouthillier St、Galena, IL
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