プリンス Prince
ミネアポリス・サウンドを確立した偉大なるミュージシャン。
プリンスは、ミネアポリス出身のミュージシャンで、グラミー賞7回受賞、アカデミー賞1回受賞、ロックの殿堂入りをした、アメリカを代表する偉大なるミュージシャンの一人。
アルバムの販売枚数は累計1億枚以上、プラチナ・アルバム(100万枚以上のセールス)12作品、トップ40シングルは30曲。
2016年4月21日、鎮静剤であるフェンタニルの過剰摂取のため57歳で急逝した。
プリンスの新人時代
1958年6月7日 | ミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名はプリンス・ロジャー・ネルソン。父親はジャズ・ピアニスト、母親はジャズ・シンガーで、幼い頃から音楽に囲まれて育った。 |
デビュー前から、シンセサイザーを取り入れたファンクミュージックを演奏しており、このミュージック・スタイルは、後に”ミネアポリス・サウンド”と呼ばれるようになる。 いくつものメジャーレーベルが、プリンスと契約しようとした。 | |
1977年 | 高額な契約金と、全て自分で管理する権利を条件にワーナー・ブラザーズと契約。 |
1978年 | アルバム『FOR YOU』でデビュー。27種もの楽器を演奏できたというマルチ・プレイヤーで、アルバムは全て自身で演奏した。ただし、プリンスは管楽器が苦手で、管楽器のパートをシンセサイザーで代用した。 この際に、単にシンセサイザーを管楽器の代用として使うとサウンドがチープになるので、シンセサイザーの音が効果的になるようにアレンジした。このスタイルは後に、「シンセサイザーを大胆に取り入れたファンクミュージック=ミネアポリス・サウンド」と言われるようになった。 |
1979年 | セカンドアルバム『Prince』を発表。シングル「I Wanna Be Your Lover」がスマッシュヒット。 1980年に『Dirty Mind』、1981年に『Controversy』とコンスタンスにアルバムをリリース。 |
1982年 | 『1999』からカットされた「Little Red Corvette」が2位、「Delirious」が8位とトップ10入りする。 |
パープル レイン Purple Rain
1984年
『1999』の成功までを描いたプリンス自身が出演の自伝映画『Purple Rain』が公開される。年間11位となる興行収入6800万ドルを稼いだ。
この映画のサウンドトラックからシングルカットされた「When Doves Cry」と「Let’s Go Crazy」の2曲がチャートで1位、「Purple Rain」が2位、「I Would Die 4 U」が8位、「Take Me with U」が25位となる。「When Doves Cry」は年間シングルチャートでも1位を獲得。
サウンドトラックは、ポップ・チャート24週連続1位、アメリカ国内だけで1300万枚(全世界で1500万枚)が売れた。
第57回アカデミー賞の歌曲・編曲賞を受賞。
第27回グラミー賞では『フットルース』『ゴーストバスターズ』『カリブの熱い夜』などを押さえて最優秀映画・TV作曲賞を受賞。
この映画『Purple Rain』とサウンドトラックの成功で、プリンスはアメリカのトップ・アーティストの一人となった。
『Purple Rain』の収益で独自レーベル”ペイズリー・パーク・レコード”を設立。
ワーナー・ブラザーズ離脱まで
1985年 | 『Around the World in a Day』をペイズリー・パーク・レコードから発表し、全米チャートで1位を獲得。 |
1986年 | プリンスが監督、主演の映画『Under the Cherry Moon』のサウンドトラック『Parade』は全米アルバムチャートで3位、シングルカット「Kiss」は全米シングルチャートで1位を獲得。 |
1989年 | 映画『バットマン』のサウンドトラックを担当。アルバムおよびシングルカット「Batdance」がチャート1位。 |
90年代に入ると、レコード会社との確執が表面化しだす。 | |
1992年 | シンボル・マークをアルバムのタイトルにした。発音不能の為に便宜上『Symbol』(日本ではラブ・シンボル)と呼ばれた。> |
1993年 | 破格の条件でワーナー・ブラザースと再契約を交わすが、制作方針などが合わず、関係は悪化していく。 |
1994年 | アルバム『Come』を発表するが、プリンスの名前を捨てて、1992年のアルバムタイトルに使ったシンボルマークに改名する。プリンスの名前は言葉で表せなくなり、ラジオ局のDJは「The Artist Formerly Known As Prince」(かつてプリンスと呼ばれたアーティストの意)と紹介していたが、省略してThe Artist と呼ぶようになった。 |
1995年 | 18年間所属していたワーナー・ブラザーズから離脱した。 |
2000年以降のプリンス
2000年 | 名前をプリンスに戻す。 |
2004年3月 | ロックの殿堂入り。 |
2005年3月 | NAACP VANGUARD AWARDを授与される。 |
2006年 | アルバム『3121』が全米アルバム・チャートで自身初となる初登場1位を記録する(通算4枚目の全米1位) |
2007年2月4日 | 第41回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。 |
2016年4月21日 | 自宅兼スタジオのペイズリー・パーク・スタジオ内にて死亡が確認される。 |
2016年10月 | 自宅兼スタジオのペイズリー・パーク・スタジオが、プリンスの博物館として一般公開される。 |
2017年 | アルバム『Sign ‘O’ the Times』(1987)がグラミー殿堂(GRAMMY Hall Of Fame)に選ばれる。 |
グラミー賞
プリンスは、グラミー賞に38回ノミネートされ7回受賞している。
第27回グラミー賞(1984年)
Best Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal
(最優秀ロック・パフォーマンス賞)
Purple Rain
Best Rhythm & Blues Song(最優秀リズム・アンド・ブルース・ソング賞)
I Feel For You
Best Album Of Original Score Written For A Motion Picture Or A Television Special
(映画・テレビサウンドトラック部門)
Purple Rain
第29回グラミー賞(1986年)
Best R&B Performance By A Duo Or Group With Vocal
(最優秀リズム・アンド・ブルース・パフォーマンス賞)
Kiss
第47回グラミー賞(2004年)
Best Male R&B Vocal Performance
(最優秀男性リズム・アンド・ブルース・ヴォーカル・パフォーマンス賞)
Call My Name
Best Traditional R&B Vocal Performance
(最優秀トラディショナル・リズム・アンド・ブルース・ヴォーカル・パフォーマンス賞)
Musicology
第50回グラミー賞(2007年)
Best Male R&B Vocal Performance (最優秀R&B男性ボーカル賞)
Future Baby Mama
ローリング・ストーン誌でのランキング
「史上最も偉大な100人のシンガー」において第30位
「史上最も偉大な100組のアーティスト」において第27位
「史上最も偉大な100人のギタリスト」において第33位
「史上最も過小評価されている25人のギタリスト」において第1位
ギタリストとしてのプリンス
マルチプレイヤーでのプリンスは、ステージでドラムを叩いたり、キーボードも弾くが、ギターを弾いていることが多い。
エレキギターを手にするきっかけとなったのがアイク・ターナーというのは、ギターのカッティングなどに影響を感じるが、プリンス自身は、影響を受けたギタリストとしてカルロス サンタナとジョニ ミッチェルを挙げている。
一般のリスナーにとって、ステージ上のプリンスの派手なダンスやパフォーマンスに目を奪われ、素晴らしい楽曲を歌うシンガーとしての印象が強いために、ギタリストとしての認識が薄い。
実際にはギターのテクニックもセンスも抜群で、ミュージシャン等からの評価は高い。
ペイズリーパーク プリンスの博物館
2016年4月に亡くなった、アメリカを代表するミュージシャンの一人、プリンス(Prince)の自宅兼スタジオが、2016年10月に博物館としてオープン。ペイズリーパーク館内には実際に使用していた楽器や衣装、プリンスが受賞した各賞のトロフィーやゴールドディスク、ゆかりの品々が展示されている。
⇒ ペイズリーパーク 詳細
協力:ミシシッピ・リバー・カントリーUSA Meet Minneapolis
ペイズリーパークの場所と行き方
Paisley Park 7801 Audubon Rd, Chanhassen, MN
ミネアポリス・セントポール国際空港からペイズリーパークへ車(レンタカー)で行く場合の一例
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