バンザイ パイプライン
THE BANZAI PIPELINE

バンザイ パイプライン THE BANZAI PIPELINE

バンザイ パイプラインはハワイオアフ島ノースショア エフカイ・ビーチパークにあるサーフポイントです。
冬になると、ハワイの遥か遠くのアリューシャン列島で発生した低気圧が生み出す強力なパワーの波がオアフ島 ノースショアに到達しますが、バンザイ パイプラインには、水深1~2m程度にリーフがあり、このリーフに大きな波がぶつかることにより、非常に大きな波が立ち上がります。そのタイミングによっては、世界最大級のチューブ(パイプライン)を形成します。
冬になると、世界中のプロ・サーファー達が、このチューブ(パイプライン)に乗ろうとノースショアにやってきます。
写真のブレイクした波の跳ね上がり方を見れば、このポイントの波が持つパワーの強大さがわかります。プロ・サーファーでも、この強力な波に巻き込まれ、リーフに叩きつけられれば、大怪我をしてしまいます。また、この凶暴な波は1日に20本のサーフボードを叩き折っていると言われてます。
バンザイ パイプラインの波の特徴として、ビーチから海に向いた時に右に崩れていくグーフィーの波ということが挙げられます。

※ 写真は、2011年の大会。

バンザイ パイプライン THE BANZAI PIPELINE

大きな波が崩れるときには、地響きするほどの轟音がします。
サーファーが波に巻き込まれたのではと思った瞬間、チューブ(パイプライン)の端からサーファーが飛び出してくる姿を確認した時、鳥肌が立つほどのスリルと感動を覚えます。

パイプ・マスターズ PIPE MASTERS

バンザイ パイプライン THE BANZAI PIPELINE

ハワイ オアフ島で、3つの大きな大会が開かれ、その3つの大会の総称がトリプル・クラウン(Triple Crown of Surfing)です。
最初の大会が、ハレイワ アリィビーチで開催されるリーフ ハワイアン プロ(Reef Hawaiian Pro)
2つ目の大会が、サンセットビーチで開催されるヴァンズ ワールドカップ(Vans World Cup of Surfing)
3つ目の大会が、バンザイ パイプラインで開催されるパイプマスターズ(Billabong Pipe Masters)
パイプマスターズ(Billabong Pipe Masters)は、ワールド・チャンピオンシップ・ツアー(World Chanpionship Tour)の最終戦でもあります。
世界中のトップ・サーファーが集う、最高レベルの大会です。

トリプル・クラウンのH.P. ⇒ http://vanstriplecrownofsurfing.com/

パイプマスターズ 歴代チャンピオン

過去に11度のASPワールドチャンピオンに輝いているケリー スレーター(Kelly Slater)は、パイプマスターズで、8度のチャンピオンになっています。

2023Jack Robinson2022Kelly Slater , USA
2021John John Florence , Hawaii2019Italo Ferreira , Brazil
2018Gabriel Medina , Brazil2017Jeremy Flores , France
2016Michel Bourez , Polynesia2015Adriano de Souza , Brazil
2014Julian Wilson , Australia2013Kelly Slater , USA
2012Joel Parkinson , Australia2011Kieren Perrow , Australia
2010Jeremy Flores , France2009Taj Burrow , Australia
2008Kelly Slater , USA2007Bede Durbidge , Australia
2006Andy Irons , Hawaii2005Andy Irons , Hawaii
2004Jamie O’Brien , Hawaii2003Andy Irons , Hawaii
2002Andy Irons , Hawaii2000Rob Machado , USA
1999Kelly Slater , USA1998Jake Paterson , Australia
1997John Gomes , Hawaii1996Kelly Slater , USA
1995Kelly Slater , USA1994Kelly Slater , USA
1993Derek Ho , Hawaii1992 Kelly Slater , USA
1991Tom Carroll , Australia1990Tom Carroll , Australia
1989Gary Elkerton , Australia1988Rob Page , Australia
1987Tom Carroll , Australia1986Derek Ho , Hawaii
1985Mark Occhilupo , Australia1984Joey Buran , USA
1983Dane Kealoha , Hawaii1982Michael Ho , Hawaii
1981Simon Anderson , Australia1980Mark Richards , Australia
1979Larry Blair , Australia1978Larry Blair , Australia
1977Rory Russell , Hawaii1976Rory Russell , Hawaii
1975Shaun Tomson , South Africa1974Jeff Crawford , USA
1973Gerry Lopez , Hawaii1972Gerry Lopez , Hawaii
1971Jeff Hakman , Hawaii

五十嵐カノア Kanoa Igarashi

ビラボンパイプマスターズ2016で、19歳ルーキーの日系アメリカ人 五十嵐カノアが準優勝。
Quarterfinals(準々決勝)では、9.93ptを叩き出してチャンピオンシップ ツアー 2016 のランキング2位の ジョディ スミス(Jordy Smith)に逆転勝利。Semifinals(準決勝)でも、パイプマスターズ最多優勝のケリー スレーター(Kelly Slater)に逆転勝利しました。Final(決勝)はプア コンディションでチャンスに恵まれず、ミッシェル ボレーズ(Michel Bourez)に敗れ準優勝となりました。
五十嵐カノアの両親は共に日本人ですが、カノア本人はアメリカ生まれアメリカ育ちの為、2016年時点ではアメリカと日本の二重国籍となり、World Surf League での登録はUSA。現在はJapanで参戦。

五十嵐カノア

バンザイ パイプラインを舞台にした映画

ブルークラッシュ『ブルークラッシュ』(Blue Crush)は、オアフ島 ノースショアのバンザイ パイプラインを舞台にした、2002年アメリカ製作のサーフィン映画。
サーフィン大会で優勝を目指す女性サーファーを描いた映画。

ジャック・ジョンソン バンザイ パイプライン出身のミュージシャン

ジャック ジョンソン フロム・ヒア・トゥ・ナウ・トゥ・ユーミュージシャンのジャック・ジョンソン(Jack Johnson)は、ハワイ州 オアフ島 ノースショアのバンザイ パイプラインの近くで生まれ育ち、幼少の頃からサーフィンをしており、高校生の時にはプロ契約を交わすほどの腕前であった。しかし、17歳の時にバンザイ パイプラインでリーフに叩きつけられ大怪我をしてしまい、プロ・サーファーの道を断念する。
大学は、「一度は島(オアフ島)を出よう」程度の考えで、カリフォルニア州 サンタバーバラのUniversity of California へ通うが、今一つ勉学に身が入らない時に、同じ大学の自主製作の映画を見て映像に興味を持ち、専攻を映像に変える。
学生時代から、カメラマンとして活動し、その時の腕を買われ、卒業直後に『シッカー・ザン・ウォーター』というサーフ・フィルムの製作を請け負う。そのフィルムの映像の編集時にBGMが足らずに試行錯誤していると、周りからジャックのオリジナルを使う事を勧められる。
ジャックは、サーフィンで大怪我をして自宅療養している時に、暇を持て余し、ギターを弾いて時間を潰していた。その後、趣味の範疇でパンク・バンドを組んで遊んだりしており、大学時代も学生バンドの範疇で演奏していた。
『シッカー・ザン・ウォーター』の撮影で、プロ・サーファー達とロケに出た際、波の無い時や夜に、誰と無くギターを弾き出して順に演奏したり、みんなで歌ったりしていたが、その時にジャックが披露したオリジナル曲がみんなに好評であったことから、『シッカー・ザン・ウォーター』のBGMのいくつかをジャックが作るという案に繋がったのである。
その時のジャックの曲を欲しがったサーファー達にCD-Rを渡したところ、その音源はサーファーからサーファーへとコピーが広がり、アメリカだけでなく、オーストラリアなどにまで広がる。
本人は音楽にそれほどの執着も自信も持っていないが、周りがジャックの才能に気づき、ミュージシャンのGラブを紹介され、二人はサーフィンをしたりセッションをする。そのセッションで演奏された「ロデオ・クラウンズ」をG・ラブは自身のアルバム『フィラデルフォニック』に収録するが、その曲がベン・ハーパーの耳に入る。
ジャックに興味を持ったベン・ハーパーは、ジャックをライブに招待する。ジャックはベン・ハーパーのファンであり、喜んで出かけていき、ライブ後にお礼のあいさつに楽屋を訪ねると、想像もしていなかったことをベン・ハーパーに言われる。何と、レコーディングを勧められるのである。ミュージシャンになるつもりがかけらもないジャックは躊躇するが、大好きなベン・ハーパーに推されて断る訳にはいかず、ベン・ハーパーの経営するインディ・レーベルからCDを出すことになる。

ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズこのCD『ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ』(Brushfire Fairytales)は、プロ・サーファー達の間では待望のCDであったことから、それほどプロモーションをしたわけでもないのに、サーファー達の口コミでインディーズのCDとしては異例の販売枚数を打ち立てた。
それを大手のレコード会社が気付き、ジャック・サイドにオファーをかける。どうしても契約を取ろうとするレコード会社は、無名の新人にしては好条件を提案してきて、それをマネージャーに経由でジャックに伝えるが、ジャックは「とりあえずNoと言っておこう」と相手にしない。その意向を伝えたマネージャは30分後にまたジャックに連絡をしてきて興奮気味に「条件が倍になった」と言うが、ジャックはやはり「No」と回答する。
ジャックは駆け引きをしたのではなく、ただ単純にミュージシャンになるつもりが無かっただけである。それに、自分の音楽が通用するのはサーファー達だけで、自分の音楽を気に入ってくれる人たちには、既に音源は行き渡っていると考えており、大手の流通に乗せても、それほど売り上げ枚数が増えるとは考えてなかった。
しかし、ジャックの争奪戦はエスカレートする。レコード会社の重役まで同席するプレゼンにジャックは呼ばれるが、その気のないジャックは、Tシャツ、短パン、ビーチサンダルで出かける。レコード会社の重役は「君が契約に応じてくれれば、すぐにでも200本のツアーを用意する」とミュージシャンを目指している者からすれば夢のような話に笑いをかみ殺して皮肉を交えて「200本を100本以下に抑えてくれるのなら契約を考えても良い」と回答するのであった。
そう、ジャックはまさしく、オアフノースショアでサーフィンをして育った、“根っからのハワイアン”で、特にやりたいと思ってもないことにあくせくする気は、全くなかったのである。
それでも、周りから「とりあえず契約をして、嫌ならすぐにやめれば良い」と言われて、バンド・メンバーの事もあるので、ユニバーサル・レコードと契約するが、破格の条件の上に、「制作に一切口を出さない」「出来上がるまで聞かせない」「出来たものに手を加えない」等の新人ではありえない条件を飲ませる。
ジャックは自身の音楽に自信があったわけではなく、人にとやかく言われてまで音楽をやって生活しようという気が無かっただけである。
インディーズで出した1stアルバム『ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ』(Brushfire Fairytales)は、2001年にユニバーサル・レコードからリセールされる。そしてこのアルバムは、ジャックの想像に反して全米でミリオン・セールスの大ヒットを記録する。

オン・アンド・オン破格の契約金と大ヒットの印税を手にしたジャックは、ハワイにスタジオを作り、ミュージシャン仲間と、良い波が立てばサーフィンをして、その合間に気が向けばレコーディングをするというスタイルで2ndアルバム『オン・アンド・オン』(On and On)を2003年に完成させる。大ヒットした1stアルバムから2年程の年月が経っており、もうジャック熱は冷めているのではとの意見もある中、アルバムは初登場で全米3位、オーストラリアで2位にチャートインする。

イン・ビトウィーン・ドリームス2ndアルバム発売から2年後の2005年に発表されたアルバム『イン・ビトウィーン・ドリームス』(In Between Dreams)はアメリカやオーストラリアだけでなく、ヨーロッパや日本でもブレイクし、ワールドワイドなミュージシャンとなったのである。

バンザイ パイプラインの場所と行き方

ワイキキから車(レンタカー)でバンザイ パイプラインへ行く場合の一例です。