ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix

シアトル生まれの天才ミュージシャン ジミ・ヘンドリックス

ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix

ジミ・ヘンドリックスは、1942年、ワシントン州シアトルに生まれる。
1960年代、エレクトリックギターのサウンドにおいて、革新的な技術と奏法を編み出し、イギリスのミュージシャンに多大なる影響を与えたジミ・ヘンドリックス。
ジミ・ヘンドリックスを目の当たりにして衝撃を受け、その技術と奏法を継承した同世代のギタリストの名前を挙げると、60~70年代にロックを聞いていた人たちはその凄さがわかる事だろう。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、リッチ・ブラックモアなどなど。
上記のギタリスト達は、それぞれに個性的で、ヘンドリックスフォロワーではないが、ジミの編み出した奏法を取り入れて、独自の表現方法を広げている。
その事は、各々が認めているぐらいに、公認の事実である。
1970年9月18日、27歳という若さで他界。
わずか4年程の活動期間であったにも関わらず、ロックサウンドを大きく変えたミュージシャンとして、今なお多くのミュージシャンからリスペクトされている。

超越したギターサウンド

ジミは、エレクトリックギターの可能性を極限まで引き出して演奏し、表現力の幅を大きく広げて演奏したギタリスト。
極端な例の一つとしてフィードバック奏法が挙げられる。
フィードバック奏法と言うのは、ノイズを操る奏法。
よくカラオケなどでマイクがスピーカーの方を向いているとキーンというノイズが出る。
スピーカーから出た音をマイクが拾い、その音をまたマイクが拾うループにより、キーンという音が増幅されて出るノイズをハウリングという。
エレクトリックギターでも同じように、アンプから出た音をギターのピックアップが拾ってしまい、大きなノイズに発展する。
ボーカルマイクとギターのピックアップの対応周波数帯が異なるので、ハウリングのような高音でのノイズでなく、中低音域で唸るようなノイズ。
その破壊的なノイズは、曲の演奏中に出てしまうと、致命的なノイズである。
ジミは、このノイズを意図的に出したり、その音色や音量をコントロールして曲中で演奏として操る。
今では、スイッチ一つで似た音を出すエフェクターがあり、奏法そのものを真似ずとも、そのサウンドを出すことができ、これぞロックと言えるフィードバック奏法で得れるようなサウンドを、一度も出したことが無いロック・ギタリストは皆無に近いだろう。
他にもファズというスピーカーの音割れのようなノイジーなサウンドが出るエフェクターや、ペダル・ワウを使った奏法にも特徴があるが、キリがないので割愛します。

エンジニアとしての能力が高かった

ジミ・ヘンドリックスは、ステージ上でギターを壊したり、燃やしたりするようなステージ・パフォーマンスでも有名であったが、車でプールに飛び込んだなどの、オフ・ステージでの武勇伝はそれほどない。
それどころか、スタジオで多彩なサウンドを作り上げる優秀なエンジニアとしての、どちらかといえば知的な一面が見られた。
ジミ・ヘンドリックスのトレード・マークである、当時のフェンダー・ストラトキャスターとマーシャルのアンプは電気的な構造が逆相のために、相性の悪い組み合わせであったが、アンプのスピーカーユニットを裏返して付けることにより、この組み合わせで爆音を鳴らしてイギリスのミューシャン達を驚かせた。スピーカーユニットが裏向きにマウントされている事は、表面的には分からないので、ジミ・ヘンドリックスのステージを見たミュージシャン達は自分の目を疑った程であったと言われている。
(その後、マーシャルは改善して位相切り替えスイッチを搭載している)

エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックス

1966年、アメリカでいろいろなミュージシャンのバックミュージシャンを務めていたジミに、アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーが渡英を持ちかける。
ジミが「クラプトンに会えるか?」とチャスに尋ねると、「君がイギリスでプレイしたら、彼の方から会いに来るよ」と言ったという。
ジミが渡英する頃、クラプトンは既にアメリカにまで名の知れるギタリストであったが、ジミは無名のバック・ミュージシャンだった。
ジミの方がクラプトンに会いたがっていたぐらいだったが、ジミのプレイを見たクラプトンは、その独特の奏法に度肝を抜かれることになる。
クラプトンは、ブルースを爆音で演奏するブルース・ロックというスタイルで、クリームというバンドをスタートさせた頃で、ジミも同系統のアプローチでブルースを演奏していた。
ロンドンで出会った二人は、お互いに刺激しあい、更に発展していった。

ジェフ・ベックとジミー・ペイジ

エリック・クラプトンが新しいサウンドを求めて、在籍していたグループ、ヤードバーズを脱退した時に後任のギタリストとして加入したのがジェフ・ベック。
ジェフ・ベックもヤードバーズのサウンドを、更にハードなものへの移行を考えていた時に、ジミー・ペイジがヤードバーズに加入したのが1966年。
そのようなタイミングで渡英してきたジミ・ヘンドリックスは、二人にとって刺激的なライバルとなった。
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンのクリームを超えるようなバンドを目指すために、ジェフ・ベックはヤードバーズを抜け、当時は全く無名のロッド・スチュワートやロン・ウッドを起用してジェフ・ベック・グループとして新しいバンドをスタートさせる。
ジェフ・ベックが抜けてからしばらくしてヤードバーズは、空中分解してしまうが、ジミー・ペイジは、他のミュージシャンをメンバーにしてニュー・ヤードバーズとして活動するが、レコードデビューする時点で、レッド・ツェッペリンとバンド名を改める。
レッド・ツェッペリンは、アメリカのアトランティック・レコードからデビューしてすぐのアメリカツアーで大ブレイクする。
ジェフ・ベックは、60歳を過ぎてからも(2014年6月時点で満70歳)新しいテクニックを生み出しており、もし、ジミ・ヘンドリックスが生きていたら、この2人は更に進化したギター奏法を生み出していたかもしれない。

リッチ・ブラックモア

特に日本で人気の高いディープ・パープルのギタリストであったリッチ・ブラックモアも、ジミ・ヘンドリックスの影響を受けたと公言しているギタリストの一人。
デビュー当時のディープ・パープルは、サイケデリック・サウンドのバンドであったが、ジミ・ヘンドリックスのサウンドに衝撃を受けたリッチ・ブラックモアがハード路線への転向をメンバーに提言。「1枚だけでも良いから」と懇願するリッチ・ブラックモアにバンドはテスト的にサウンド・チェンジを試みる。
新しいサウンドに合うように、ロックスタイルのイアン・ギランにボーカルを、ベースにロジャー・グローヴァーとメンバー・チェンジし、1970年に『イン・ロック』というアルバムを制作してイギリスでブレイク。アメリカでのブレイクはその次々作までかかるが、路線変更は正解であった。
リッチ・ブラックモアの奏法は、バロック時代の音楽を意識したフレーズを多用するので、ジミ・ヘンドリックスとは印象が異なる部分も多い。
しかし、歪んだサウンドや、フィードバック奏法を使ったスリリングな展開は、ジミ・ヘンドリックスの影響を充分に感じる事ができる。
また、リッチ・ブラックモアは、ジミ・ヘンドリックスのセッティングをリサーチして、当時は相性が良くなかったフェンダー・ストラトキャスターとマーシャルのアンプの組み合わせで爆音を鳴らす方法を探り出した。

ジャンルを超越した存在

ジミ・ヘンドリックスは、ロックの進化に多大な影響をもたらしたが、奏法だけでなく作曲家としてジャズ界からも称賛を浴びていた。
ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスが絶賛していたことは広く知られる。
ジミ・ヘンドリックスの早すぎる死により、二人の共作は実現しなかったが、実現していれば、ロック史はもちろん、ジャズ史でも大事件であったであろう。
マイルスのトランペットでワウワウミュートを使ったプレイは、ジミ・ヘンドリックスの影響と、マイルス自身が語っている。
ジャズ編曲家のギル・エヴァンスも、ジミ・ヘンドリックスをリスペクトしており、トリビュート・アルバム『PLAYS THE MUSIC OF JIMI HENDRIX 』を発表している。

ジミ・ヘンドリックスに関連するスポット

シアトルにあるジミ・ヘンドリックスに関連する観光スポットをご紹介。地図も掲載しております。

ジミ・ヘンドリックスのお墓

ジミ・ヘンドリックスのお墓

ジミはシアトル生まれだが、シアトルでのプロとしての音楽の足跡は少ない。ロンドンに渡り成功を収めた後、シアトルでコンサートを行うために帰ってきたのは一度きりである。若くしてこの世を去ったジミはシアトルの郊外にあるグリーンウッド・メモリアル・パークに埋葬された。家族が建てた立派な墓には、現在も世界中から多くのファンが訪れる。
Jimi Hendrix Memorial 350 Monroe Ave NE Renton, WA 98056

ジミ・ヘンドリックスの像 Jimi Hendrix Statue

ジミ・ヘンドリックスの像 Jimi Hendrix Statueシアトルのキャピタルヒルにジミ・ヘンドリックスの像があります。
多くのジミ・ヘンドリックス ファンが撮影に訪れるスポットです。
 
Jimi Hendrix Statue
1604 Broadway, Seattle, WA

ミュージアム オブ ポップ カルチャー Museum of Pop Culture

ジミ・ヘンドリックスミュージアム オブ ポップ カルチャー(旧EMPミュージアム)は、体験型音楽博物館です。マイクロソフト社の共同創業者ポール・アレン氏の投資により、2002年にシアトルセンターにオープンしました。
このミュージアム オブ ポップ カルチャーシアトル出身のジミ・ヘンドリックスに関する展示が多くあります。 ミュージアム オブ ポップ カルチャーの詳細はこちらのページをご覧ください。
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ミュージアム オブ ポップ カルチャー

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