パイオニア・スクエア Pioneer Square

パイオニア・スクエア Pioneer Square

白人がこの地に入植した当時、先住民であるスクアミシュ族が住んでいましたが、19世紀にアメリカ連邦政府によって保留地へ強制移住させられます。開拓者のひとりデビッド・ドック・メイナードが親交を深めた、ドゥワミッシュ族の「Si’ahl (シ・アール)」大酋長は、白人との争いを無意味と悟り、話し合いにより土地を明け渡します。ドゥワミッシュ族の「Si’ahl (シ・アール)」大酋長の名前がシアトルと訛り、がそのパイオニア・スクエア周辺を、シアトルと呼ぶようになります。
この事が、パイオニア・スクエアが、シアトル発祥の地とされる由縁です。
パイオニア・スクエアの場所と行き方

パイオニア・スクエア Pioneer Square

先住民のトーテムポールがパイオニア・スクエアのシンボルとして建っていますが、現在のものは2代目で、元のトーテムポールは1938年に放火の為焼失しました。その最初のトーテムポールは1899年にシアトルから商用でアラスカ(ジュノー)に出かけた商人達が、アラスカの先住民の村“Tlingit”にあった沢山のトーテムポールのうちの1本を無断で持ち帰ってきたものだそうです。そのトーテムポールは、持ち帰られた時より更に遡ること100年前に、部族のリーダー的女性を祀るために建てられた非常に神聖なものだったので、村人たちは激怒し、アラスカ法に基づいて$20,000を請求しましたが、判決で決められた罰金はわずか$500。
この2代目のトーテムポールは、1940年にチャールス・ブラウンとウィリアム親子、そして数人のネイティブアメリカン
(Tlingit族の子孫と言われている)の手により、複製され、その際に部族に$20,000が渡った・・・と噂されていますが、確証はないそうです。

パイオニア・スクエア Pioneer Squareパイオニア・スクエアの道路に沿って残っているビクトリア調のパーゴラは、1909年にトロリーの待合所として建てられたもの。
※2002年に大型トラックがぶつかって崩壊したが、再建されました。

パイオニア・スクエア 周辺の街並み

パイオニア・スクエア Pioneer Square

石畳と街路樹が美しい通りには歴史のあるレンガ造りの建物が並び、センスの良いブティックやカフェが集まっています。

パイオニア・スクエア Pioneer Square

シアトルの大火災と街の再構築

パイオニア・スクエア Pioneer Square

パイオニアスクエア周辺が街の中心地だった1889年6月6日に火災が起こります。当時は今よりも土地が低く、満潮時には下水が逆流するなどの問題が発生していました。
火災が発生した時は、逆に干潮だった為、消火栓の水圧が低く、充分に消火放水できずに大火災となってしまいます。
焼けた街を再興する際、その事を考慮し、街の道路を3m高くします。
その事で、焼けなかった建物は、2階の位置が道路になり、1階は地下になります。
街の下水問題など水道に関する問題は解決しましたが、地下となってしまった1階部分の大半は使われなくなりました。
現在、パイオニアスクエア周辺に残っているこの廃墟化した地下を案内してもらう「アンダーグラウンド・ツアー(Underground Tour)」というツアーで見学する事ができます。

協力:シアトル・ワシントン州観光事務所

パイオニア・スクエアの場所と行き方

Pioneer Square 100 Yesler Way, Seattle, WA
シアトル-タコマ国際空港からレンタカーで行く場合の一例。

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