マディ・ウォーターズ Muddy Waters
シカゴブルースの父
マディ・ウォーターズは、1915年4月4日ミシシッピ州 アイザッキーナ カウンティ出身。本名は、マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)。マディ・ウォーターズは、3歳の時に母を亡くし祖母デラ グラントに引き取られ育てられた。いつも川の中で泥んこになって遊んでいる彼を、祖母は“マディ(泥)”と呼んでいたことから、マディ・ウォーターズを名乗るようになる。
幼少の頃、クラークスデイル郊外のプランテーションで、サン ハウスやロバート・ジョンソンを聞いて育つ。
最初はハーモニカを吹いていたが、ギターを弾くようになり、昼はトラクターの運転手、夜はジューク・ジョイントでビッグ ジョー ウィリアムズと演奏していた。
1941年と42年に、国会図書館用のフィールド・レコーディングのためにミシシッピ州を訪れたアラン・ローマックスにより、初めてのレコーディングする。
シカゴへ
1943年、イリノイ州 シカゴに移住。1947年にピアノのサニーランド スリムに誘われ、アリストクラット・レーベル(1950年にチェス・レコードとなる)でレコーディングする。サニーランド スリムのバック・サポートでスタジオに入ったマディ・ウォーターズだが、「Gypsy Woman」「Little Anna Mae」の2曲をレコーディングし、これがシカゴでのデビュー盤となった。
1950年頃からバンドのスタイルに移行しはじめ、1954年にベースのウィリー・ディクスンがレコーディングに加わって、マディ・ウォーターズ・バンドの形が整う。
エレキサウンドのバンドスタイルを確立したシカゴブルースの第一人者で「シカゴブルースの父」と呼ばれる。
グラミー賞を6度受賞し、没後の1987年にロックの殿堂入りを果たす。
1983年4月30日 イリノイ州 ウェストモントで亡くなる。(満68歳没)
マディ・ウォーターズ とイギリスのミュージシャン達
イギリスのバンド、ザ ローリング ストーンズのバンド名は、マディ・ウォーターズの曲「ローリング ストーン(Rollin’ Stone)」からの引用。
ザ ローリング ストーンズに限らず、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー ペイジ、ポール ロジャースなどのイギリスのロックミュージシャンに多大な影響を与えた。
ポール ロジャースは、「マディ・ウォーター・ブルーズ」という曲を書き、『マディ・ウォーター・ブルーズ』というタイトルのトリビュートアルバムを出している。
マディ・ウォーターズ と ジョニー ウィンター
マディ・ウォーターズをリスペクトするテキサス出身のブルースロックのギター&シンガーのジョニー ウィンターを「義理の息子」と呼ぶほど気に入っており、ジョニー ウィンターは、マディ・ウォーターズの生涯で最後の4枚のアルバム制作をサポートしている。