シカゴ・ホワイトソックス Chicago White Sox

アメリカンリーグ創設当時からある老舗球団

シカゴ・ホワイトソックス Chicago White Sox

シカゴ・ホワイトソックス(Chicago White Sox)は、MLB(メジャーリーグベースボール)アメリカンリーグ 中地区 所属のプロ野球チーム。球団創設は1901年。アメリカンリーグ創設当時から存在。創設1年目にリーグ優勝した。

シカゴ・ホワイトソックスのファン

シカゴ・ホワイトソックス Chicago White Soxホワイトソックスは、イリノイ州 シカゴの南部にあるUSセルラー・フィールドU.S.Cellular Field)が本拠地。同じくシカゴにあるMLB球団のシカゴ・カブス(Chicago Cubs)は、北部にあるリグリー・フィールドが本拠地の為、シカゴ北部にはカブス・ファン、シカゴ南部はホワイトソックス・ファンが多いとされているが、総数ではカブス・ファンの方が圧倒的に多い。
因みに、第44代アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは「カブスは歴史ある球団として敬意を払うが、ホワイトソックスのファンである」と公言している。また、2009年のMLBオールスターの始球式にホワイトソックスのジャケットを着て登場し、観客をザワつかせた。
この時点で、オバマ大統領はホワイトソックスのファンであると公言しているものの、本来は大統領という立場では特定の球団を応援するのはタブーとされており、各チームのスター選手が出場するオールスターで特定のチームのジャケットを着用しての登場は前代未聞の出来事であった。
ホワイトソックス・ファンとカブス・ファンは犬猿の仲と言われるが、民主党の大統領候補争いでバラク・オバマと争ったヒラリー・クリントンは、シカゴ・ノースサイドの出身でカブス・ファンであると公言。カブスvsホワイトソックスを演出した。

シカゴ・ホワイトソックスの球団名

リーグ加盟時は、ボストン・レッドストッキングス(現:アトランタ・ブレーブス)に対抗して、シカゴ・ホワイトストッキングスという球団名であった。地元の新聞紙シカゴ・トリビューンが、ホワイトストッキングスを省略してホワイトソックスと記載しているうちに、巷でもホワイトソックスと呼ぶようになり、1904年にホワイトソックスに変更。
Chicago Sox を略して、CHISOX(シャイソックス)と呼ばれる場合もある。

シカゴ・ホワイトソックスの優勝回数

ワールドシリーズ優勝
1906年・1917年・2005年 (3回)
リーグ優勝
1901年・1906年・1917年・1919年・1959年・2005年 (6回)
地区優勝
1983年・1993年・2000年・2005年・2008年 (5回)
※ 2015年時点

ブラックソックス事件

ホワイトソックスは、1919年のシーズンに4度目のリーグ優勝し、ワールドシリーズでは優勢を予想されていたがシンシナティ・レッズに3勝5敗と敗退した。
賭博絡みの八百長疑惑が噂されており、地方新聞が暴露記事を掲載し事件が発覚した。

ホワイトソックスの選手の給与は低水準の上、吝嗇家のオーナー チャールズ・コミスキーは、ユニフォームのクリーニング代もケチった為に選手のユニフォームは黒ずんでいたことから「ブラックソックス」と笑われていた。貧困な選手の事情に賭博師たちは目を付け、賭博の主導者アーノルド・ロススタインの手下が正一塁手のチック ガンディルをそそのかしたと言われる。
チック ガンディルを中心に八百長を働いた7人の選手と、八百長を知りながら球団に報告をしなかった三塁手のバック ウィーバーの8人は、問題のシリーズから約1年後に大陪審に呼び出されて証言を求められた。
大陪審は、彼らに情状酌量の余地を認め不起訴となる。
しかし、事を重大に考えたアメリカの球界は、判事のケネソー・マウンテン・ランディスをコミッショナーとして迎い入れコミッショナー制度を立ち上げる。初代コミッショナーであるランディスは8人の選手をメジャーリーグから永久追放にする。
高打率の人気選手 ジョー ジャクソンを含む8人の主力選手を失ったホワイトソックスは、1959年までア・リーグ優勝から遠ざかる事になる。この低迷期は“ブラックソックスの呪い”と言われた。

タイ カッブなど有名選手の何人かは、八百長疑惑がありながら救済されたことから、追放されたホワイトソックスの8人は「アンラッキー・エイト Unlucky Eight」と呼ばれるようになり、同情されたり美化された。
第62回アカデミー賞のいくつかの賞にノミネートされたケヴィン コスナー主演の映画『フィールド・オブ・ドリームス Field of Dreams』(1989年)は、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作。

シカゴ・ホワイトソックスに在籍したことがある日本人選手

高津臣吾(2004 – 2005年) 井口資仁(2005 – 2007年) 福留孝介(2012年)

協力:シカゴ観光局

シカゴのスタジアム マップ

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