バディ・ガイ Buddy Guy

バディ・ガイ Buddy Guyロックファンにも人気のブルーズマン
バディ・ガイは、1936年7月30日 ルイジアナ州 レッツワース出身。ルイジアナ州 の首都バトンルージュ(Baton Rouge)で活動の後、1958年にチェス・レコードと契約しようとシカゴへ移住。
しかし、チェス・レコードに送ったはずのデモ・テープは届いておらず、チェス・レコードと契約に至らなかった。
ブルー・フレイム・クラブで行われたブルース大会で優勝したのをきっかけに、オーティス ラッシュやマジック サムの紹介でコブラ・レコードと契約し、コブラ・レコード傘下のアーティスティック・レコードからオーティス ラッシュとのセッションでシングルデビューするが、コブラ・レコードが倒産。
その後、希望していたチェス・レコードと契約し「FIRST TIME I MET THE BLUES」などの名演を残す。マディ・ウォーターズハウリン・ウルフリトル・ウォルター、サニー ボーイ ウィリアムスンIIなどの大物ミュージシャンのレコーディングにセッション・ミュージシャンとして参加。チェス・レコードには、1960年から1967年まで在籍。

1968年、チェスを離れてヴァンガード・レコードと契約。数枚のアルバムを残す。
並行して、1960年代後半からリトル・ウォルターの後任としてマディ・ウォーターズのバンドに加入していたジュニア ウェルズ(Junior Wells)とデュオで活動する。

80年代は『Stone Crazy』(1981年 Alligator Records)『Breaking Out』(1988年 JSP Records)と2枚のアルバムをリリースするが、目立った活動には至らなかった。

1991年、影響を与えたイギリスのロック・ミュージシャン、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、マーク ノップラーをゲストに迎えたアルバム『アイ・ガット・ザ・ブルース(Damn Right, I’ve Got The Blues)』がロック・ファンにも受け入れられ、グラミー賞のベスト・コンテンポラリー・ブルース・アルバムを受賞。以後、人気が急上昇し、アルバムをコンスタンスにリリース、世界中のミュージック・フェスティバルなどにも多数出演することになる。
2005年にロックンロールの殿堂入りを果たす。
“ブルース・カーニバル” “ウドー・ミュージック・フェスティバル”などで来日している。
2010年発表の『リヴィング・プルーフ Living Proof』は、第53回グラミー賞でベスト・コンテンポラリー・ブルース・アルバムを受賞。

シカゴで経営しているブルース・クラブ「バディ・ガイズ・レジェンズBuddy Guy Legends)」は、シカゴの人気スポットの一つ。