ココ・テイラー Koko Taylor

ココ・テイラー Koko Taylorクイーン・オブ・ザ・ブルース
ココ・テイラー(Koko Taylor)は、1928年9月28日テネシー州 メンフィス 出身。本名はコラ ウォルトン(Cora Walton)だが、幼少の頃にチョコレートが好きだったことからニックネームがココとなる。ロバート“ポップス”テイラーと結婚したので、ココ・テイラーと名乗るようになった。
“クイーン・オブ・ザ・ブルース”と呼ばれ、シャウトが持ち味の女性シンガー。
幼い時から音楽が好きで、ゴスペルとアメリカで最初のブラックミュージックのラジオ局 WDIA のB.B.キングとルーファス・トーマスに刺激を受け、兄弟姉妹5人で楽器を手作りしブルースを演奏していた。
1953年に、夫、ロバート“ポップス”テイラーと共に、「たった55セントとリッツクラッカーの箱だけ」を持ってシカゴに移住。
夫のポップは梱包会社で、ココは掃除婦の仕事をしながら、夜になると共にブルースクラブで頻繁に演奏していた。
1962年、ベーシストで作曲もするプロデューサーのウィリー・ディクスンWillie Dixon)と出会い、気に入られる。
1963年、ウィリー・ディクスンのプロデュースによりUSAレーベルからシングル”Honky Tonky”をリリース。その後、チェスと契約。バディ・ガイらが協力してリリースした「Wang Dang Doodle」がミリオンセールの大ヒット。「Wang Dang Doodle」はココの代表曲となる。
その後、チェスの経営が困難になるまでに、ココは『Koko Taylor』(1969年)『Basic Soul』(1972年)の2枚のアルバムをリリース。
1975年にアリゲーター(Alligator)からリリースした『I Got What It Takes』は、グラミー賞にノミネートされる。
1978年から2007年までの間、ココはアリゲーターの主要アーティストとして、ライブ盤を含む8枚のアルバムをリリースした。
1988年、ココはツアー中の交通事故で重症、マネージャとして同行していた夫のポップは、この時の怪我が原因で数か月後に亡くなってしまう。
1990年『Jump for Joy』で復活。
1991年、ジャパン・ブルース・カーニバル出演のため初来日。
1993年、B.B.キングが多くのブルース・ミュージシャンをフィーチャリング・ゲストとして迎えたアルバム『Blues Summit』にゲスト参加。
同年、アルバム『Force of Nature』リリース。
1998年、映画『ブルース・ブラザーズ2000』に出演。
2000年、アルバム『Royal Blue』リリース。
体調不良で活動は活発でなくなるが、2005年の第22回シカゴ・ブルース・フェスティバルではメイン・ステージのヘッド・ライナーとして出演。(この時のギタリストは日本人ブルースギタリストの菊田俊介)
2007年、7年ぶりとなるアルバム『Old School』をリリースし、来日を果たす。
2009年6月3日、手術後の合併症で亡くなる。(満80歳没)