ウィリー・ディクスン Willie Dixon

ウィリー・ディクスン Willie Dixonシカゴ・ブルースを支えたブルーズマン
ウィリー・ディクスン(Willie Dixon)は、1915年7月1日ミシシッピ州 ヴィックスバーグ出身。
ブルースのソングライター、プロデューサ、ベーシスト、シンガー。
1946年からビッグ・スリー・トリオのベーシストとして活動。
ビッグ・スリー・トリオ解散後、1951年頃にチェス兄弟と出会い、チェス・レコードのスタジオ・ワークに係るようになる。
1954年、マディ・ウォーターズのレコーディングに加わり、ウィリー・ディクスン作詞作曲した「フーチー・クーチー・マン」が大ヒットする。
その後もウィリー・ディクスンの楽曲が、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフ、バディ・ガイ、サニー ボーイ ウィリアムスンIIらによってレコーディングされヒットする。これらの曲を列挙するだけで、シカゴ・ブルースを語ることが出来るほどである。
ウィリー・ディクスンの作詞作曲は、子供の頃に教会で歌ったゴスペルと母親が読んで聞かせてくれた詩がベースとなっている。
1956年、コブラ・レーベルよりウィリー・ディクスン作詞作曲の「I Can’t Quit You Baby」でオーティス ラッシュをデビューさせる。
1969年、ジョニー ウィンター(Johnny Winter)のコロムビア・レコードから発売されたメジャー・デビュー盤『ジョニー・ウィンター』にベーシストとしてゲスト出演。
1984年にブルース・ヘヴン・ファウンデーション(Blues Heaven Foundation)を設立。ブルースの振興とブルース・アーティストの支援を開始した。
1989年、自伝「I Am The Blues: The Willie Dixon Story」を出版。
1992年1月29日、心不全のためカリフォルニア州バーバンクのセントジョセフ医療センターにて76歳で死去。

ウィリー・ディクスンの代表曲

「フーチー・クーチー・マン」(Hoochie Coochie Man)
 マディ・ウォーターズ チャック・ベリー
 エリック・クラプトン オールマン・ブラザーズ・バンド ポール ロジャース
 ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
 etc.

アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー
 (Just Want To Make Love To You)
 マディ・ウォーターズ バディ・ガイ エタ ジェームス
 ザ・ローリング・ストーンズ ポール ロジャース&ジェフ・ベック

アイム・レディ」(I’m Ready)
 マディ・ウォーターズ

ユー・ニード・ラヴ」(You Need Love)
 マディ・ウォーターズ
 エリック・クラプトン&ジェフ・ベック

ザ・レッド・ルースター」(THE RED ROOSTER)
 ハウリン・ウルフ

スプーンフル」(Spoonful)
 ハウリン・ウルフ
 クリーム テン イヤーズ アフター

ビルト・フォー・コンフォート」(Built For Comfort)
 ハウリン・ウルフ 
 UFO

アイ・エイント・スーパースティシャス」(I Ain’t Superstitious)
 ハウリン・ウルフ
 ジェフ・ベック・グループ サンタナ

ブリング・イット・オン・ホーム」(Bring It On Home)
 サニー ボーイ ウィリアムスンII

アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」(I Can’t Quit You Baby)
 オーティス ラッシュ
 レッド・ツェッペリン

ブロークン・ハーテッド・ブルース」(Broken Hearted Blues)
 バディ・ガイ

クレイジー・ラヴ」(Crazy Love)
 バディ・ガイ