シカゴ・ブルズ Chicago Bulls
シカゴ・ブルズは、1966年設立の全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、セントラル・ディビジョン所属。
本拠地はイリノイ州 シカゴ にある ユナイテッド・センター。
1970年代
1966年設立当時は、プレイオフに進出する活躍を見せたりし、70年代前半はカンファレンスで屈指のチームとなる。しかし、70年代末期から低迷期に陥る。
マイケル・ジョーダンを獲得
シカゴ・ブルズはディフェンスを中心としたチームだったが1984年にドラフトでマイケル・ジョーダンを獲得。マイケル・ジョーダンは得点を稼ぎ、入団3年目の1987年には、試合平均得点は37.1点、シーズン総得点は3,000点を超えを記録しリーグトップの成績を記録する程の活躍を見せるが、シカゴ・ブルズの総合力はそれほど高くなく優勝する程の力は無かった。
特に1988年と1989年、シカゴ・ブルズはプレイオフまで進むが、対戦相手のデトロイト・ピストンズにマイケル・ジョーダンを徹底的にマークするジョーダン・シフトでマイケル・ジョーダンを潰され、2年連続でファイナル進出を阻まれる。これが原因で監督がダグ コリンズからフィル ジャクソンに交代となる。
フィル ジャクソン監督
フィル ジャクソンは、“マイケル・ジョーダン狙い撃ち”の対策として、1987年入団以来、順調に育ってきているホーレス グラント(パワーフォーワード)、スコッティ ピッペン(スモールフォワード)とマイケル・ジョーダンの3人で、システム構築の難易度は高いが、効率的に得点する攻撃システムであるトライアングル・オフェンスを機能させるように特訓を重ねる。
こうしてシカゴ・ブルズは、マイケル・ジョーダンのワンマンプレーのスタイルから、チームプレーのスタイルと変えて行く。
初優勝
シカゴ・ブルズがスタイルを変えた結果、1991年のマイケル・ジョーダンの試合平均得点31.5点は過去数年で最低となるが、シカゴ・ブルズはチーム史上最多の61勝を上げカンファレンス・ファイナルへ進出。宿敵デトロイト・ピストンズと4年連続の対戦を行い4勝0敗で大勝し、今までの雪辱を晴らしてNBAファイナル進出をもぎ取る。
NBAファイナルの対戦相手はスーパースターのマジック・ジョンソンが居るロサンゼルス・レイカーズ。マジック・ジョンソン VS マイケル・ジョーダンの新旧スーパースター対決として注目を浴びる。
シカゴ・ブルズは4勝1敗で勝利し、念願の初優勝を飾る。この時、マイケル・ジョーダンはファイナルMVPを受賞。
スリーピート(3連覇)
1992年、シカゴ・ブルズはリーグ史上屈指の67勝を果たし、NBAファイナルでオレゴン州のポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で下し連覇。
93年シーズンは、57勝ながらNBAファイナルに進出し、レギュラーシーズンの勝ち数がリーグ最多という強敵 フェニックス・サンズと対戦。敵地で迎えた6戦目、3勝2敗の戦績で王手をかけながらも第4クォーター残り時間わずかの時点で96対98の2点差でリードを許していたが、残り時間3秒でジョン パクソンが3ポイントシュートを決めて逆転。結果、劇的な展開で3度目の優勝を決めた。1960年代のボストン・セルティックス以来の「スリーピート」(3連覇)実現という快挙を成し遂げる。
マイケル・ジョーダン引退
1993年7月23日、マイケル・ジョーダンの父親が殺害される事件が起こる。精神的なダメージを受けたマイケル・ジョーダンが1993年10月に引退を表明。
マイケル・ジョーダンが抜けたシカゴ・ブルズの連覇は途絶える。
マイケル・ジョーダン 復帰とデニス ロッドマンの入団
1995年3月、マイケル・ジョーダンが復帰し残り17試合に出場。しかし、NBAファイナル進出には至らなかった。
シーズン終了後、かつてのライバル デトロイト・ピストンズのラフプレーで有名なバットボーイズの1人であるデニス ロッドマンが入団。
バッドボーズは1988年と1989年のプレイオフで、マイケル・ジョーダンをマークしてラフプレーで徹底的に叩き潰した。また、1991年のカンファレンス・ファイナルでは、デニス ロッドマンがスコッティ ピッペンをコート外の観客席まで突き飛ばし、顎を縫う怪我を負わせた上に罵った。まさに因縁の相手であった。
その上、デトロイト・ピストンズからサンアントニオ・スパーズへ移ったデニス ロッドマンは、何かと騒動を起こす。チームに馴染めないデニス ロッドマンは厄介者と扱われ、チームはもちろんの事、マスコミやファンからも非難される。
その結果の移籍である。シカゴ・ブルズは大きな賭けに出た。
2度目のスリーピート
問題視されたデニス ロッドマンであるが、フィル ジャクソン監督に敬意をはらい、複雑で難解なトライアングル・オフェンスを理解し周りを驚かせる。また、トライアングル・オフェンスは理解するだけではなく、チームワークが肝心であるが、これも難なくこなしてみせ、マイケル・ジョーダンとスコッティ ピッペンの3人で、最強のトリオを組む事ととなる。チームプレーに徹する姿勢で試合に臨むが、気性の激しさから時折、乱闘騒ぎになりそうになる。そんなデニス ロッドマンの気性を理解しているチームメイトは、デニス ロッドマンを乱闘直前に全力で抑え込むシーンも多々見られた。
1996年、マイケル・ジョーダン、スコッティ ピッペン、デニス ロッドマンのトリオに加え、長身シューターのトニー クーコッチ、優秀なディフェンダーであるロン ハーパーは、NBA史上最多の72勝でレギュラーシーズンを終えた。NBAファイナルではシアトル・スーパーソニックスと対戦し4勝2敗で4度目の優勝をする。
1997年、69勝でレギュラーシーズンを終え、NBAファイナルではユタ・ジャズと対戦。4勝2敗で2連覇。
1998年、フィル ジャクソン監督がシーズン後の退任を早い時期からほのめかしていたり、スコッティ ピッペンがチーム経営陣との関係を悪化していることが表面化したりして、微妙な空気の中でシーズンは進む。シーズン62勝20敗。NBAファイナルでは2年連続でユタ・ジャズと対戦。3勝2敗で敵地ユタで第6戦。残り5.2秒でマイケル・ジョーダンが、決勝シュートを決め2度目のスリーピート(3連覇)をはたす。
最強チームの解体
シカゴ・ブルズは、2度目のスリーピート(3連覇)を実現したにも関わらず、ジェネラル・マネージャーのジェリー クラウスと現場の確執の為、コーチや主力選手がチームから放出されたり引退に追い込まれる。
フィル ジャクソン監督とマイケル・ジョーダンは引退、スコッティ ピッペンはトレード、デニス ロッドマンとスティーブ カーは放出。
1999年、トニー クーコッチとロン ハーパーがチームを中心に戦うが、13勝37敗でシーズンを終える。
2000年代以降
1999難から、シカゴ・ブルズは低迷期に陥る。
2003年、ジェネラル・マネージャーが、ジェリー クラウスからジョン パクソンに変わる。(現在はゼネラルマネージャーを退き、球団社長)
2008年のNBAドラフトでデリック ローズを獲得。ローズが新人王に選出されチームは好調だが優勝には至らない。
2010年代
2011年シーズン62勝20敗でカンファレンス1位でプレーオフに進出するが、カンファレンスファイナルでマイアミ・ヒートに敗れファイナル進出はできなかった。
2012年シーズン50勝16敗。しかし、プレーオフ初戦でローズが右膝前十字靭帯断裂で離脱して、1stラウンドで敗退。
2013年、プレーオフに進出するが敗退。
2014年、デリック ローズが復帰、10試合出場したが負傷で離脱。どうにかプレーオフに進出するが敗退。
2015年、5年連続のプレーオフ進出を果たすが、カンファレンス準決勝敗退
ユナイテッド・センター United Center
ユナイテッド・センターは、1994年8月18日にこけら落としされた屋内競技場。イリノイ州 シカゴにあり、NBAのシカゴ・ブルズ、NHLのシカゴ・ブラックホークスの本拠地。
ユナイテッド航空が命名権を取得している。
協力:シカゴ観光局
シカゴのスタジアム マップ
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