ハウリン・ウルフ Howlin’ Wolf
ハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)は1910年6月10日、ミシシッピ州の東の州境に近いウェストポイントで生まれた。
本名はチェスター・アーサー・バーネット(Chester Arthur Burnett)で、ウルフは祖父が付けたニックネーム。カントリーシンガーのジミー ロジャースのヨーデルをコピーし、遠吠えのようなボーカルスタイルを身に付け、ハウリン・ウルフと名乗るようになった。
18歳の時にギターを手に入れ、チャーリー パットンに鍛えられ、デルタではロバート・ジョンソンやサニー ボーイ ウイリアムスたちと演奏していた。
1940年代に拠点をメンフィスに移してバンドを結成する。遠吠えのようなボーカルスタイルと独特のダミ声は強烈な印象を与え、1951年にサン・レコードのサム・フィリップスに気に入られて初レコーディングを行う。サム・フィリップスはそのテープをシカゴのチェス・レコードに送って売り込む。しかし、同時期にアイク・ターナーもハウリン・ウルフに目を付けておりレコーディングした音源をRPMのビハリ兄弟に送り、モダンレコードからもレコードが出る事態になります。最終的にチェス・レコードが権利を獲得し、ハウリン・ウルフはギタリストのヒューバート・サムリンと共にシカゴへ行く。
シカゴでは、ヒューバート・サムリンと多くの名曲を出し、マディ・ウォーターズと共にチェス・レコードを盛り上げ、シカゴ・ブルースの全盛期を築いた。 心臓に問題を抱えたハウリン・ウルフは、1973年に交通事故に遭い大怪我を負ったうえ、腎臓疾患を患い、イスに座ったままで演奏するようになる。
1976年1月10日に65歳で亡くなる直前まで演奏を続けた。
ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ
マディ・ウォーターズと同様にイギリスのロックミュージシャン達にリスペクトされているハウリン・ウルフはロンドンに招かれてセッションを行いレコーディングします。
エリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、ビル ワイマン、チャーリー ワッツが参加。