サンスタジオ SUN STUDIO

アメリカ南部の音楽の底辺を支え、エルビス・プレスリーを輩出したレコーディング・スタジオ。

サンスタジオ SUN STUDIO

サンスタジオ(SUN STUDIO)は、レコーディングの方法がわからない黒人ミュージシャンにレコーディングの機会を与える、今の時代でいうインディーズ・レーベルのようなスタジオとして地元の音楽プロデューサー、サム・フィリップスにより開かれました。
サンスタジオの場所と行き方

サンスタジオ SUN STUDIO

このスタジオを一躍有名にしたのはエルビス・プレスリーです。1953年にエルビス・プレスリーがこのスタジオでプライベートなレコードを録音した時は全くの素人でした。しかし、1954年6月にその声の良さと歌のうまさを評価したサム・フィリップスが、レコーディングで歌手が不在の際に代理で起用しました。そのオーディションのようなセッションではうまくまとまりませんでしたが、その後にエルビス・プレスリーが、デルタ・ブルース歌手 アーサー“ビッグボーイ”クルーダップ(Arthur“Big Boy”Crudup)の「ザッツ・オール・ライト」(1949年)をアップテンポで演奏を始め、それをレコーディングした「That’s All Right」がデビュー曲としてをリリースされました。この「ザッツ・オールライト」をラジオ局 WHBQの人気DJデューイ・フィリップスがオンエアしたらローカル・ヒットとなり、エルビス・プレスリーはキング・オブ・ロックンロールになる伝説の第一歩を踏み出すこととなったのです。

1950年代のサンスタジオ

1950年、地元の音楽プロデューサー、サム・フィリップスにより開かれたレコーディングスタジオで、数々の世界的ミュージシャンを輩出した伝説のレコーディングスタジオです。といってもここは元々、才能に恵まれながらも資金がなくレコーディングできないというミュージシャンたちのために開設されたスタジオです。なので、ここでレコーディングしたミュージシャンが「後に」有名になった、という順番にはなりますが、このスタジオが無かったら、現代音楽の歴史は変わっていたかもしれません。
ちなみに、このスタジオが有名になった一番の理由はやはりエルビス・プレスリーでしょう。1954年にエルビス・プレスリーがここで録音した曲が反響を呼び、彼はスターダムへのし上がることになります。(最初にこのスタジオに訪れたのは1953年)
しかし、サム・フィリップスは資金繰りのために、1955年にエルビス・プレスリーとの契約の売却を決意します。エルビス・プレスリーは大手のRCAレコードへ移籍となり、世界的なスターとなるのです。

エルビス・プレスリー移籍後

サム・フィリップスは、エルビス・プレスリーの契約売却による資金を基に、ジョニー・キャッシュカール・パーキンスジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソンなどのアーティストを売り出します。
ユニオン通りのスタジオが手狭になり、1959年にマディソン通りに移転しました。その後、下降をたどり、1969年にサン・レコードは売却されます。

再オープンしたサン・スタジオ

1987年に、ユニオン通りの元々の建物が、ゲイリー ハーディーの手によって「サン・スタジオ」の名で、レコーディング・スタジオとして再オープンしました。
この新しいサン・スタジオで、U2、デフ・レパード、ジョン メレンキャンプ、ボニー レイット、リンゴ スターなどのミュージシャンに使用されました。

観光地としてのサン・スタジオ

サン・スタジオは、エルビス・プレスリーのファンや、一般の音楽愛好家が訪れる観光地となり、内部を見学できるようになりました。内部の見学は1時間程のツアーに参加して楽しめます。エルビス・プレスリーの使ったマイクやギターなどを見たり、デビュー当時の歌声なども聴くことができます。
2003年、サン・スタジオは、アメリカ合衆国国定歴史建造物に認定されました。

サンスタジオ

ミリオン・ダラー・カルテット Million Dollar Quartet

ミリオン・ダラー・カルテット Million Dollar Quartet1956年12月4日サンスタジオで、カール・パーキンスがブルース曲「マッチボックス」の改訂版の収録をしていました。サム・フィリップスが連れてきたピアノ奏者のジェリー・リー・ルイスを加えてセッションをしているところに、サンレコードからRCAレコードへ移籍したエルビス・プレスリーがスタジオに遊びに来ました。エルビスは、カール・パーキンスのレコーディングに意見を言い、スタジオに入っていき、ジャム・セッションが始まりました。セッション中にスタジオに来たジョニー・キャッシュもセッションに加わりました。このスーパースター達の夢の競演が目の前で繰り広げられている事に気付いたエンジニアのジャック クレメントは、このセッションを録音したのです。
サム・フィリップスも、目の前の出来事の凄さに気付いて、地元紙『Memphis Press-Scimitar 』に電話をし記者のボブ ジョンソンを呼びます。翌日、ジョンソンの記事のタイトルには「ミリオン・ダラー・カルテット」と付いていました。
1969年にシェルビー・シングルトンがサンレコードを買収し、その音源の多くのヨーロッパにおける販売権をチャーリーレコードに譲渡しました。音源をチェックしている際に、ミリオン・ダラー・カルテットのセッションが見つかり、1981年に『The Million Dollar Quartet 』(17曲)として発表されます。その後、更に音源が発掘され、1987年に2枚組LPで『The Complete Million Dollar Session』(ヨーロッパではCDも)が発表されました。その後にも、いくつかの途中で終わっているセッションなども含んだものが、再発されました。

協力:メンフィス市観光局

サンスタジオの場所と行き方

SUN STUDIO 706 Union Ave., Downtown Memphis, TN

メンフィス国際空港からサンスタジオへ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
※ 駐車場は建物の裏手にあります。

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