エルビス・プレスリー Elvis Presley
エルビス・プレスリーは1935年1月8日にミシシッピー州 テュペロで生まれました。非常に貧しく、ミシシッピ州を追われるようにテネシー州 メンフィスのアップタウンスクウェア アパートメント(集合住宅)に移り住みます。当時のメンフィスは非常に貧しい黒人労働者が多く、黒人に偏見を持たない母親の影響で黒人音楽も聞いて育ちました。
エルビスは、白人のカントリーウェスタン、黒人のリズム&ブルース、教会で聞くゴスペルを分け隔てなく吸収して育ちます。この白人音楽と黒人音楽を融合して歌うスタイルが、人種差別する白人から批判され、黒人からは自分たちの音楽を盗んだと罵倒されることもありました。しかし、その革新的な音楽は、白人の若者を中心に支持されます。
サンスタジオでプライベート録音
1953年にエルビス・プレスリーが、サム・フィリップスが経営するサンスタジオで、エルビスが彼の母親にプレゼントするためにプライベートなレコードを録音しました。その頃、エルビスはミュージシャンではなく、トラックの運転手でした。
1954年6月に、レコーディングで歌手が不在の際に代理で起用されます。受付のマリオン・カイスカーがプライベート録音したエルビスの事を覚えていてサム・フィリップスに推薦したといわれています。その時のレコーディングはお蔵入りになったようですが、その後に、「That’s All Right, Mama」をリリースして栄光の第一歩を踏み出すことになりました。
メジャー・レーベルへ移籍
エルビスが所属するサンレコードは経営難から、エルビスの権利をパーカー大佐に売ってしまい、エルビスは大手メジャーレーベルのRCAレコードと契約することになります。1956年、「ハートブレイク ホテル Heartbreak Hotel」がチャートの1位に躍り出ます。その後、音楽だけでなく映画でも人気の大スターとなります。
世界的なスターに
18曲のビルボードNo. 1シングル、50枚のアルバムをTOP40に送り込んだエルビス・プレスリーは、アメリカだけでなく世界中に受け入れられ、イギリスのザ・ビートルズをはじめ、多くのミュージシャンに影響を与えました。そして、「キング オブ ロックンロール」と呼ばれるようになります。