ティナ・ターナー 博物館
Tina Turner Museum

ウエスト テネシー デルタ ヘリテージ センター West Tennessee Delta Heritage Center

ティナ・ターナー 博物館(Tina Turner Museum)は、ウエスト テネシー デルタ ヘリテージ センターWest Tennessee Delta Heritage Center)にある、女性シンガー ティナ・ターナーに関する博物館。
ティナ・ターナー 博物館の場所と行き方

ティナ・ターナー 博物館 Tina Turner Museumセクシー・ダイナマイトと呼ばれるティナ・ターナーの脚線美を強調する派手な衣装、ゴールドディスクや様々なアイテムが展示されている。
ティナ・ターナーは、半世紀以上に渡る音楽活動の中で、8つのグラミー賞をはじめ、多くの賞を受賞している。

ティナ・ターナー Tina Turner

ティナ・ターナー(Tina Turner)として世界的に有名な女性シンガー、アンナ・メイ・ブロック(Anna Mae Bullock)は、1939年11月26日にテネシー州のナットブッシュ(Nutbush)で生まれた。13歳の時に両親が離婚した際に、ブラウンズヴィルで祖母と一緒に暮らして、ハイスクールに通っていた。その事から、2002年に、テネシー州 州道19号線の、ブラウンズヴィルとナットブッシュの間は「ティナ・ターナー・ハイウェイ」と名付けられた。
アンナ(ティナ・ターナー)がハイスクールに通っている時に、祖母が急死したために、離婚後にセント・ルイスに移って行った母親や姉妹と一緒に過ごすようになり、セント・ルイスのハイスクールを卒業後、バーンズ・ジューイッシュ病院で看護師の助手として働くようになった。
アンナ(ティナ・ターナー)は、イースト・セント・ルイスにあるナイトクラブで、アイク・ターナーと出会い、アイクのバンド”キングス・オブ・リズム”に参加することになり、バックコーラスとしてシンガーのキャリアをスタートすることになった。

スー・レコーズ(Sue Records)の社長 ヘンリー“ジャギー”マーレイ(Henry ‘Juggy’ Murray)が、アンナ(ティナ・ターナー)をメインボーカリストにすることをアイク・ターナーに助言し、アイクは、アンナをティナ・ターナーと名付け、アイク&ティナ・ターナーとして活動することにした。
アイク&ティナ・ターナーはヒット曲を放ち、圧倒的なステージ・パフォーマンスが評価され、1966年秋のローリング・ストーンズのイギリス国内ツアーでオープニング・アクトとして起用され、ヨーロッパやオーストラリアで知名度が上がる。
1969年には、ローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーでオープニング・アクトを務め、アメリカでも注目される存在となった。
1971年、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカヴァー曲「プラウド・メアリー」でブレイクし、ライヴ・アルバム『ホワット・ユー・ヒア・イズ・ホワット・ユー・ゲット』がゴールド・ディスクを獲得。
1974年、ティナ・ターナーはソロ・アルバムを発表したり、ザ・フーのロック・オペラ『トミー』が映画化された時に出演したりと活動の場を広げて行く。
その一方で、アイク・ターナーはアルコールとドラッグに溺れ、ティナに暴力を振るうようになっていき、堪りかねたティナはアイクから逃げ出し、離婚の訴訟を起こす。
1978年3月29日に離婚が確定し、ティナ・ターナーという芸名の権利も手に入れ、本格的なソロ活動を始める。

Private Dancerなかなか大きなヒットは出ないものの、ティナの実力を評価するロッド・ステュワート、ローリング・ストーンズのサポートを受けながら活動を続け、デヴィッド・ボウイの後押しで、キャピトル・レコードからアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(Let’s Stay Together)をシングルで発売することになった。この「レッツ・ステイ・トゥゲザー」がヒットしたことで、キャピトル・レコードとアルバム制作の契約を結ぶ。
そして1984年6月に『プライヴェト・ダンサー』が発売された。「レッツ・ステイ・トゥゲザー」以外に6曲がシングルカットされ、「愛の魔力」(What’s Love Got to Do with It)が全米1位に輝き、第27回グラミー賞で、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞の3部門を受賞した。
名実ともに大スターになったティナは45歳になっており、”奇跡の復活”として注目された。

フラッグ グローブ スクール
Flagg Grove School

ティナ・ターナー 博物館 Tina Turner Museum

フラッグ グローブ スクールは1889年に、アンナ(ティナ・ターナー)の大叔父であるベンジャミン・フラッグ(Benjamin Flagg)が寄贈した、ナットブッシュの土地に建てられた。
アンナ(ティナ・ターナー)は、1年生から8年生まで、ナットブッシュにあったフラッグ グローブ スクール(Flagg Grove School)に通っていた。
その後、フラッグ グローブ スクールは、朽ち果てた状態で放置されていたのだが、2012年6月に修復され、ウエスト テネシー デルタ ヘリテージ センターに移設された。

ティナ・ターナー 博物館 Tina Turner Museum

卒業アルバムが展示されており、アンナ(ティナ・ターナー)の”将来の夢”の項目に「エンターテイナー」と記載されている。

協力:メンフィス市観光局、ミシシッピ・リバー・カントリー

ティナ・ターナー 博物館の場所と行き方

Tina Turner Museum 121 Sunny Hill Cove, Brownsville, TN
メンフィス国際空港からレンタカーで行く場合の一例。

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