テイラー・スウィフト Taylor Swift

今や全米を代表する歌姫であるテイラー・スウィフトは、デヴュー前からナッシュビルを活動の拠点とし、カントリーシンガーとしてデビューする事を夢見ていました。
1989年12月13日、ペンシルベニア州ウエスト・レディングに生まれました。子供の頃にカントリー・ミュージックに興味を持ち、パッツィー・クライン(1932年生まれ)、ドリー・パートン(1946年生まれ)、シャナイア・トゥエイン(1965年生まれ)など幅広い世代の女性カントリーミュージシャンの曲を聴き、10歳から歌詞を12歳から曲を書き始めます。
カントリーミュージックで成功するには、カントリーミュージックの聖地であるテネシー州 ナッシュビル を活動の拠点にする必要性を感じていました。
テイラー・スウィフトが14歳の時に、一家はナッシュビル近郊に引っ越しします。 RCAレコードの養成所に通い曲作りに励みますが、版権の条件が合わないRCAレコードを辞めて、設立準備中のレーベルであるビッグ・マシン・レコードと契約します。

テイラー・スウィフト Taylor Swift

テイラー・スウィフト Taylor Swift2006年10月24日『テイラー・スウィフト』でデビューします。
初登場19位という幸先の良いスタートを切り、最高位5位を記録します。
ビッグ・マシン・レコードは設立間もないために、ラジオ局に送るためのサンプルCDの封筒詰めを母と共に自ら手伝ったり、全米のラジオ局回りの営業も、大きなレーベルであれば6週間で回るところを6ヶ月かけて回りました。
グランド・オール・オープリー』を始めその他のTV出演でのプロモーション以外に、カントリーミュージック業界では無かった Myspaceのページによるプロモーションで若い世代にも受け入れられました。
2007年にはDVD付のデラックス盤、2008年にはスペシャル盤がリリースされ、通算500万枚以上も販売する事になります。

フィアレス Fearless

テイラー・スウィフト Taylor Swift フィアレス Fearless2008年11月11日リリース。
2008年8月8日にアルバム発売に先駆け、北京オリンピックアメリカ選手団の為に売上げを寄付する形で「Change」をプロモーションシングルでリリースし、Billboard Hot 100で10位を記録ます。
9月12日には「Love Story」をファーストシングルとしてリリースして、最高位4位の大ヒットとなります。
すでに温まっている市場にリリースされたアルバム『フィアレス』(Fearless)は、初週で59万枚を超えBillboard 200で初登場1位に輝き、通算11週で1位を獲得します。
発売の翌年、2009年にはアメリカで320万枚以上を売上げて、年間チャートで1位となります。
2010年、グラミー賞主要4部門の1つである“最優秀アルバム賞”を史上最年少(19歳)で受賞の栄誉に輝きます。

スピーク・ナウ Speak Now

テイラー・スウィフト Taylor Swift2010年10月25日リリース
2010年8月4日リリースの先行シングル「Mine」は、ビルボードHot 100において最高位3位を記録します。
そして、アルバム『スピーク・ナウ』(Speak Now)はリリース初週に104万枚以上が売れ初登場1位。
当時、初動で100万枚以上を売り上げた女性アーティストは、ホイットニー・ヒューストン『ボディガード』(1992年)、ブリトニー・スピアーズ『ウップス!…アイ・ディド・イット・アゲイン』(2000年)、ノラ・ジョーンズ『Feels Like Home』(2004年)だけで、史上4人目の快挙を飾ります。(2011年にレディー・ガガが『ボーン・ディス・ウェイ Born This Way』で110万枚以上を記録)

レッド Red

テイラー・スウィフト Taylor Swift2012年10月22日リリース
先行シングル「WE ARE NEVER EVER GETTING BACK TOGETHER」(邦題:私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない)がビルボード Hot 100で初登場1位、テイラー初のシングルでの首位を獲得します。
日本ではテレビ番組『テラスハウス』の主題歌に起用され、デジタル・ダウンロードで130万ダウンロードを超えるヒットとなり、テイラー・スウィフトは更に日本の若い女性に注目を浴びる。テイラー・スウィフトのガーリーなファッションを真似る女性はテイラー女子と呼ばれ、音楽だけでなく、女性のポジティブな恋愛観まで影響を与えるようになります。
アルバム『レッド』(Red)は初週120万枚以上を売上げ、初登場1位。
当時、2作連続で初週100万枚越えの記録は、バックストリート・ボーイズ、イン・シンク、エミネムだけで、テイラー・スウィフトは史上4組目、女性アーティストでは初の快挙となります。

1989

テイラー・スウィフト Taylor Swift2014年10月27日リリース
Billboard 200において初登場1位、初週売上128.7万枚を記録。
3作連続で初週売上100万枚を超えるという、史上初の快挙を成し遂げます。
メガヒットを積み重ね、コンスタンスに2年周期のアルバム発売ペースを崩さずに人気をキープしているからこそ成せる快挙。
簡単そうに書きましたが、相当の才能が有っても、あれ程の成功を手に入れると、慢心して生活が乱れたり、前作のプレッシャーに負けそうになるのが普通で、どこかで歯車が狂うはず。
しかし、テイラー・スウィフトは、その壁をいとも簡単そうに乗り越えてしまいます。
自分への批判や反発など、ネガティブな事さえも創作意欲に繋げてしまうのです。
シングル「Shake It Off」の歌詞にあるように、全てShake it off(振り払っちゃう)と軽快なリズムに乗せてシャウトする彼女は無敵です。
このポジティブで意思の強いライフスタイルが『Time』で評価され、「最も影響のある世界の100人」の一人にテイラーの名前を挙げています。

サウンドの変遷

1stアルバム『テイラー・スウィフト』では、カントリー調の曲をポップにした感じでしたが、2ndアルバム『フィアレス』(Fearless)ではポップ色に加えてロック色が加わりだします。
これは、2008年にテイラー・スウィフトの母親が大好きなイギリスのロックバンド デフ・レパードと共演したことからだと言われています。
その後、テイラー・スウィフトの意志の強いキャラクターとロックサウンドは相性が良く、ロック色は強くなります。
4thアルバム『レッド』(Red)では、カントリー色はほとんど感じないものの、カントリー、ポップ、ロックといったジャンルを超えて、テイラー・スウィフト独自の世界観を表現するサウンドとなっています。

テイラー・スウィフトとナッシュビル

自らのルーツがカントリーミュージックであり、音楽的な成長と成功の基礎を築けたことに感謝して、テイラー・スウィフトは2012年に「カントリー・ミュージック殿堂博物館」に400万ドルを寄付しています。

テイラー・スウィフトと恋愛

テイラー・スウィフトの歌詞には、失恋や片思いの曲が多く、実体験の恋愛を基に書かれているとの事ですが、恋愛経験が豊富なテイラー・スウィフトにとってはネタが尽きる事がないようです。
どの恋愛も泥沼的な醜聞に至らず、爽やかなイメージを保つことができるバランス感覚は見事なものです。

テイラー・スウィフトとニューヨーク

現在はナッシュビルを離れ、ニューヨーク マンハッタンに住むテイラー・スウィフトは、2014年秋にニューヨーク観光大使(グローバル・ウェルカム・アンバサダー)に就任しました。
アルバム『1989』からシングルカットされた「WELCOME TO NEW YORK」の収益金すべてを市内の公立学校に寄付しています。