W.C.ハンディ ハウス博物館
W.C.Handy House Museum

W.C.ハンディ ハウス博物館 W.C.Handy House Museum

ビールストリートの東端にブルースの父と呼ばれるW.C.ハンディーが住んでいた小さな家があり、楽器や楽譜、写真などが展示されている博物館として公開されています。
W.C.ハンディ ハウス博物館の場所と行き方

W.C.ハンディ ブルースの父

W.C.ハンディ ブルースの父W.C.ハンディは、1873年11月16日にアラバマ州フローレンスで生まれました。
ブルース進行のジャズのスタンダード・ナンバー「セントルイス・ブルース」(St.Louis Blues)の作曲者として知られています。
ハンディは、10代の時に父親にクリスチャンの家にはそぐわないという理由で手に入れたギターを取り上げられたのきっかけに家出し、シカゴインディアナケンタッキーなどを転々とします。その後に、ミンストレルズのバンドでピアノと編曲をしていたところ、クラークスデイルのバンドのバンド・リーダーの仕事が舞い込み列車で旅をすることになりました。途中、タトワイラーの駅で遅れている列車を待っている時にギター弾きと出会います。そのギター弾きはポケットナイフをギターの弦に擦り付けて演奏し、唸り声のような声で歌いました。これがハンディが初めてブルースに出会った瞬間だったのです。この時の曲を採譜したのが、ブルースに関する最古の記録(1903年)となりました。
その後6年間、ミシシッピ州クラークスデイルを拠点に活動した後に、W.C.ハンディーと彼のバンドはメンフィスにやってきて、ビールストリートのクラブで演奏し始めました。W.C.ハンディは、1909年にメンフィス市長の選挙用キャンペーン・ソング「ミスター・クランプ」(Mr.Cranp)を作曲します。好評だったこの曲を1912年に「メンフィス・ブルース」(Memphis Blues)とタイトルを改めて、楽譜として出版しました。ブルースが世界で初めて楽譜として出版され、大ヒットとなって世に広まりました。
この後、音楽スタイルを確立したW.C.ハンディーは精力的に作曲しました。1914年に発表した「セントルイス・ブルース」(Saint Louis Blues)は多くの人にカバーされ、特に1933年にベッシー スミスとルイ・アームストロングが共演してバージョンは大ヒットしました。1917年に発表した「ビールストリート・ブルース」(Beale Street Blues)も1954年にルイ・アームストロングがカバーしました。
ハンディは生粋のブルースマンではなく、ブルースを模倣しただけと酷評もされていますが、ブルースを世に広めた一人であることは間違いのない事実です。また、音楽の楽譜を売った最初の黒人としても名を残しています。

協力:メンフィス市観光局

W.C.ハンディ ハウス博物館の場所と行き方

W.C.Handy House Museum 352 Beale St, Memphis, TN

メンフィス国際空港からW.C.ハンディ ハウス博物館へ、車(レンタカー)で行く場合の一例。

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