オールマン・ブラザーズ・バンド
The Allman Brothers Band

オールマン・ブラザーズ・バンド The Allman Brothers Bandサザン・ロックの基礎を築いたオールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)は、フロリダ州ジャクソンビルで活動を開始し、バンドの拠点をジャクソンビルからジョージア州メイコンに移して、1969年にキャプリコーン・レコードから『The Allman Brothers Band』をリリースしてデビューしました。セカンドアルバム『アイドルワイルド・サウス Idlewild South』共ヒットには至りませんが、1971年の2枚組ライヴアルバム『フィルモア・イースト・ライヴ At Fillmore East』がアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなります。
アメリカ南部の泥臭いスタイルのロックは、サザン・ロックと呼ばれるようになり、同じくフロリダ州ジャクソンビルから出てきたレーナード・スキナード (Lynyrd Skynyrd)や38スペシャル(38 Special)に引き継がれて行きます。
このオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストのデュアン・オールマン(Duane Allman)と、ボーカリストでオルガンプレイヤーのグレッグ・オールマン(Greg Allman)は、テネシー州 ナッシュビルの出身です。

デュアン・オールマン Duane Allman

デュアン・オールマン Duane Allman1946年11月20日 テネシー州 ナッシュビル 生まれ。
3歳の時にヴァージニア州ノーフォークに移住するが、父親が強盗に殺害されたためナッシュビルに戻った後、フロリダ州デイトナビーチに引っ越した。
弟のグレッグ・オールマンがギターを弾きだして、ギターに興味を持つ。
13歳の時、ナッシュビルの親戚を訪ねた際に、B.B.キングが出演したショーを観てブルースに魅了された。
デュアンとグレッグはバンドを組み、地元やナッシュビルセントルイスなどを拠点に演奏活動をした後、ロサンゼルスに拠点を移してレコード契約する。
しかし、ポップ・バンドとして売り出そうとするリバティ・レコードと決裂し、地元に戻る。
地元に戻ったデュアン・オールマンはスライドギターを習得し、ウィルソン・ピケットの『Hey Jude』(ビートルズの「Hey Jude」のカヴァーを含む)のレコーディングに参加。その時の腕前を買われ、マッスル・ショールズのフルタイム・スタジオミュージシャンとなります。スタジオミュージシャンとしてアレサ・フランクリンやオーティス ラッシュ等の大物ミュージシャンや、AORに移行する前のボズ スキャッグスなど多くのアルバムでギターを弾きます。
しかし、スタジオミュージシャンの仕事だけでは満足できないデュアン・オールマンは、オールマン・ブラザーズ・バンドを組みます。
オールマン・ブラザーズ・バンドがフロリダでライブをしているステージに、同じくフロリダでデレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム『いとしのレイラ Layla and Other Assorted Love Songs』を録音し始めたエリック・クラプトンをトム・ダウドが連れてきて、二人は意気投合。デュアン・オールマンは『いとしのレイラ』でギターを弾くことになります。
デュアン・オールマンの事が気にいったエリック・クラプトンは、デレク・アンド・ザ・ドミノスに加入する事を勧めますが、デュアン・オールマンはオールマン・ブラザーズ・バンドでの活動を選択します。
オールマン・ブラザーズ・バンドは、翌年にライブアルバム『フィルモア・イースト・ライヴ At Fillmore East』でブレイクしますが、その数か月後、1971年10月29日にジョージア州 メイコンで ハーレー・ダヴィッドソンに乗ったデュアン・オールマンは事故のために他界してしまいます。(満24歳没)

グレッグ・オールマン Greg Allman

グレッグ・オールマン Greg Allman1947年12月8日 テネシー州 ナッシュビル 生まれ。
デュアン・オールマンの実弟。
名ギタリストで名を馳せた兄のデュアン・オールマンよりも先にギターを弾き始め、デュアン・オールマンにギターを教えたというエピソードがあります。
デュアン・オールマン亡き後もオールマン・ブラザーズ・バンドを牽引し、5枚目のアルバム『ブラザーズ&シスターズ Brothers and Sisters』(1973年)では全米アルバム・チャートNo.1となります。
しかし、他のメンバーとの行き違いのために、1976年に解散。
1978年に再結成をしますが、所属していたキャプリコーン・レコードが倒産したため、移籍してアルバムを2枚リリースしますが、1982年に解散します。
1989年、再び再結成をして活動を再開します。
1995年に、オールマン・ブラザーズ・バンドとしてロックの殿堂入りを果たし、1999年にはドラムのブッチ・トラックスの甥で、スライドギターの名手のデレク・トラックスも加入するが、2000年にディッキー・ベッツがメンバーと対立して、バンドから追い出されます。
オールマン・ブラザーズ・バンドは、活動を続けますが、2014年にウォーレン・ヘインズとデレク・トラックスが脱退し、現在は活動休止中です。