ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)
National Civil Rights Museum

ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館) National Civil Rights Museum

ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)は、メンフィスのサウス・メインストリートの一本東の通り、マルベリー・ストリート(Mulberry St.)沿い、ビールストリートから南へ約0.5マイル(800m)の場所にあります。マーチン・ルーサー・キング牧師 暗殺の地に建つ国立の博物館です。
ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)の場所と行き方

ロレインモーテル The Lorraine Motel

ロレインモーテル The Lorraine Motel

ロレインモーテル(The Lorraine Motel)は、1925年にできたウィンザーホテル(Windsor Hotel)という数少ない黒人専用のホテルを、1945年にウォルター・ベイリーとローリー・ベイリーが買い取り、改築してロレインモーテル(The Lorraine Motel)という名前に変更しました。レイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、キャブ・キャロウェイ、カウント・ベイシ、B.B.キング、ナット・キング・コールなどの黒人エンターテイナーも宿泊したことがあるモーテルで、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアもリピーターでした。

ロレインモーテル306号室のバルコニー

ロレインモーテル306号室のバルコニー

1968年4月4日、メンフィス遊説中のマーチン・ルーサー・キング・ジュニアは、ロレインモーテル306号室のバルコニーで、白人男性のジェームズ・アール・レイの凶弾に倒れ病院に搬送されましたが、間もなく死亡しました。その死を悼み、遺志を受け継ぐべく、彼の最期の地となったロレインモーテルは1991年に、国立の公民権運動をテーマにした博物館として設立されました。2013年と2014年に、2,750万ドルの費用をかけて修復工事、および展示の強化が行われました。

奴隷と人種差別の歴史

入館してまずは、アフリカから最初にアメリカへ奴隷が連れてこられた1619年から、奴隷制廃止が発端となった南北戦争開戦の1861年までの奴隷制度に関する資料が展示されています。
そして、南北戦争後に奴隷制度が廃止された後、南部諸州で制定された人種差別法のジム・クロウ法によって、学校やレストランなどの公共の場においても、有色人種は差別された生活を送っていた時の様子の一部を知ることができる展示が並んでいます。
その中でも、「ローザ・パークスの逮捕とバスボイコット事件」は、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアが公民権運動でリーダーシップを取っていくきっかけとなった出来事で、展示されているバス内でローザ・パークスの様子を体験できる重要な展示です。

ローザ・パークスの逮捕とバスボイコット事件

ローザ パークスの逮捕とバスボイコット事件

1955年12月1日18時ごろ、アラバマ州 モンゴメリーでの出来事。
仕事を終えて市営バスに乗って帰宅中のローザ・パークス(当時42歳)は、黒人席が満席の際に座ってもよいとされている中間席に座っていました。バスは次第に白人の乗客が増えてきて、運転手のジェイムズ ブレイクが中間席に座っている黒人に向かって白人のために席を空けるように命じ、座っていた黒人の4人のうちの3名は席を空けたが、ローザは立とうとしませんでした。運転手のジェイムズはローザに詰め寄るが、ローザは着席したままで居座りました。ジェイムズは「立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ」と言ったので、ローザは「どうぞ」と答え、ジェイムズは警察に通報し、ローザは市条例違反で逮捕されました。
当時のアメリカ南部の諸州には、ジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる人種分離法が施行され、黒人は白人と日常生活のあらゆる場所で隔離されていました。黒人は奴隷から解放されていましたが、人種分離の名のもとに人種差別されていたのです。
逮捕されたローザは拘置所に入れましたが即日保釈。後日、モンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告されました。
ローザ・パークスの逮捕を知った社会運動家のエドガー・ニクソンは、ジョージア州 アトランタからモンゴメリーの教会に移ったばかりの牧師マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやラルフ・アバーナシーに、「バス乗車ボイコット運動」を持ち掛けました。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやラルフ・アバーナシーは抗議運動に立ち上がり、モンゴメリーに住む黒人たちに「バス乗車ボイコット運動」を呼びかけました。
当時のモンゴメリーの黒人たちにとって、バスは移動手段に不可欠な交通機関でしたが、数少ない黒人が所有する車に同乗したり、歩いて移動するという方法でバスを利用しないという抗議運動を始めたのです。市営バスの利用客の75%が黒人であったことから、モンゴメリー市は経済的ダメージを受けました。
また、バス車内における人種分離条例は違憲であると控訴し、1956年11月に連邦最高裁判所は違憲判決を下し、公共交通機関における人種差別は禁止となり、判決の翌日に381日間のボイコット運動は収束しました。
これを機に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは公民権運動を全米各地で指導するようになりました。

バスボイコット運動」に関して、当時のバスが再現されているので実際に乗り込んでみましょう。見学者が前方の白人専用席に座ると、ドライバーが後方の黒人用の席に移動しろと命じる、という一部始終を体験することができ、当時の黒人がどのような差別を受けていたのかを体感することができます。

ワシントン大行進と演説「I have a dream」

20万人以上の人が集まった1963年8月28日の「ワシントン大行進」や、そのデモの中であまりにも有名な「I have a dream」の演説のフィルムの展示も必見です。

メンフィスでのデモのスローガン「I AM A MAN」

メンフィスでのデモのスローガン「I AM A MAN」 

1960年代、メンフィスで暮らす黒人たちは、衛生労働者(ごみ収集作業員)など不衛生で危険な労働を安い賃金でさせられていました。
1968年2月1日に、エコール・コールとロバート・ウォーカーという労働者がゴミ圧縮機で粉砕され死亡しました。1964年にも同様の事故で2人の労働者が死亡しており、労働者たちは市に改善を要求しましたが拒否され、このままではいけないと感じた1,375人の労働者は2月12日からストライキを敢行しました。
2月21日に約1,000人のストライカーがクレイボーン寺院(Clayborn Temple)からダウンタウンまでデモ行進を行いましたが、警察の残虐な妨害にあい、2月24日のデモでは、警察の暴力に対して、“I AM A MAN”と書いたプラカードを首から下げて歩きました。この“I AM A MAN”というフレーズがデモのスローガンとなりました。
3月18日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアメンフィスのストライキを訪れ、メーソン寺院(Mason Temple)で数千人の聴衆の前でスピーチを行い士気を高めました。
4月4日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが再びメンフィスに訪れた時に暗殺され、ストライキは強まり、4月8日のデモ行進には42,000人が参加しました。
4月16日に和解が成立しストライキは終了しました。

ロレインモーテル306号室

ロレインモーテル306号室

狙撃事件があった当時のままに復元されたロレインモーテル306号室。

ロレインモーテル306号室この部屋のバルコニーで、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは凶弾に倒れました。
狙撃前夜や直後の様子がVTRで見る事ができます。
通りの向いにあるレガシービルディングには狙撃に使われた部屋がそのまま保存されており、暗殺の一部始終や、事件に係る展示を見る事ができます。

レガシービルディング The Legacy Building

レガシービルディング The Legacy Building

レガシービルディングは、マルベリー・ストリート(Mulberry St.)を挟んで、ロレインモーテルの向いにあります。この建物は、狙撃犯がマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを銃撃した現場の建物を残して博物館にしています。館内には公民権運動のタイムラインなどが展示されています。

レガシービルディング The Legacy Building

最も重要な展示は、狙撃犯が潜んでいた部屋や、狙撃する際に使ったバスルームなどが再現されていて、その近くの窓からロレインモーテルの306号室のバルコニーを見渡すことができます。

ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館) National Civil Rights Museum

ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)の詳細などは公式ホームページでご確認ください。
 ⇒ ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)National Civil Rights Museum の公式HP


マーティン・ルーサー・キング・ジュニア Martin Luther King, Jr.

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア Martin Luther King, Jr.1929年1月15日 ジョージア州 アトランタで、牧師のマイケル・ルーサー・キングの息子として誕生。大学を卒業後、父親と同じくバプテスト派の牧師となる。
1955年12月にモンゴメリーで発生した人種差別によるローザ・パークス逮捕事件に抗議し、人種差別容認に対する違憲判決を勝ち取る。
それ以後、牧師をしながら全米各地で公民権運動を指導した。
1964年7月2日、リンドン・B・ジョンソン政権下において公民権法(Civil Rights Act)が制定され、法の上において人種差別は終わりを告げる。しかし、実際には、多くの黒人がベトナム戦争に徴兵され最前線に送り込まれたり、差別により失業し生活に苦しむ多くの黒人の為に、ベトナム反戦運動や、黒人の待遇改善のために運動を続けるが、活動が活発になるにつれて暗殺の危険に身をさらす事となる。
1968年4月4日にメンフィスで凶弾に倒れる。

奴隷解放宣言後の人種差別

1862年にエイブラハム・リンカーン大統領による奴隷解放宣言により、奴隷制は廃止されたが、人種差別により有色人種はリンカーンが唱える「自由で平等」とはかけ離れた生活を送る。トイレやバス、食堂などで白人用と白人以外用と分け隔てられており、明らかな人種差別を受けていた。
リンカーン大統領による奴隷解放宣言から、リンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されるまで、100年以上の年月がかかった。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア の非暴力主義

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、インド独立の父 マハトマ・ガンディーに啓蒙していたのと、牧師である立場もあって、一切抵抗しない非暴力を貫いた。
1963年5月にアラバマ州バーミングハムでの運動の時、無抵抗の黒人に警察犬をけしかけたり、警棒で滅多打ちにしたり、黒人女性達に高圧ホースで水を打ちつけるシーンがTVで中継され、その様子がアメリカ国内に流れる。世間は、その酷さに黒人差別に対する認識が変わり始める。

ワシントン大行進

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの運動が盛り上がってきたタイミングで、ルーズベルト大統領に人種差別撤廃を直訴した黒人労働組合のリーダーであるランドルフがワシントン行進を提案。共産主義者でゲイの詩人ラスティンらと計画をたてる。数100の単位でなく、数万の単位での動員を企てる。
この行進には、多くの著名人も参加した。

  • 世界的な大ヒットを持つジャマイカ系黒人の歌手ハリー・ベラフォンテ
  • モンゴメリー・バス・ボイコット事件のきっかけとなったローザ・パークス
  • ゴスペル歌手のマヘリア ジャクソン
  • 黒いヴィーナスと呼ばれたジャズ歌手のジョセフィン ベーカー
  • 大物アーティストのボブ ディランやジョーン バエズ
  • マーロン ブランドやチャールトン ヘストンら150人の俳優
  • 暴力的手法もいとわないNOIの活動家 マルコムX

1963年8月28日に20万人以上の人がワシントンD.C.に集まった。

I Have a Dream

ワシントン大行進において、リンカーン記念堂の前でマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが17分にわたって演説をした時の有名な一節。
 
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
 
後にいくつも、「私には夢がある」から始まる差別の無いアメリカでの生活を語る内容の演説は、アメリカを代表する名演説として有名である。

公民権法 制定

ワシントン大行進から約1年後、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)がついに制定された。ジョンソン副大統領に後押しされケネディ大統領は公民権法案を議会に提出したが、強い政治的影響力を持たず、制定するに至らなかった。その後、ケネディ大統領暗殺によりリンドン・B・ジョンソンに政権が移った時点で、ジョンソン大統領は、政治的影響力をフルに使い、制定へ向けた議会工作を活発化させた。

ノーベル平和賞

1964年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、非暴力主義の活動で人種差別の撤廃に貢献した事から、ノーベル平和賞が授与された。

マルコムXの暗殺

1965年2月、マルコムXが暗殺される。
過激なアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織 ネーション・オブ・イスラム (NOI)を脱退したマルコムXは、脱退を理由にNOIに暗殺された。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 暗殺

1968年4月4日にテネシー州 メンフィス ロレインモーテル306号室のバルコニーで、ジェームズ・アール・レイの凶弾に倒れる。

マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー Martin Luther King, Jr. Day

1986年以降、アメリカではマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの栄誉を称え、キング牧師の誕生日である1月15日に近い、1月第3月曜日を「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア・デー Martin Luther King, Jr. Day」として祝日にしている。

ちなみに、1981年に発表されたスティーヴィー・ワンダーの曲「ハッピー・バースデイ」(Happy Birthday)は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの誕生日を祝日にしようとする社会活動のため作られた曲で、キング牧師を讃える曲である。

協力:メンフィス市観光局

ナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)の場所と行き方

National Civil Rights Museum 450 Mulberry St, Memphis, TN

メンフィス国際空港からナショナル・シビルライツ博物館(国立公民権博物館)へ、車(レンタカー)で行く場合の一例。

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