メンフィス・ロックンソウル博物館
Memphis Rock ‘n’ Soul Museum
ブルース、ソウル、ロックンロールに関する本格的な博物館。
メンフィス・ロックンソウル博物館はメンフィスの音楽を保存、伝承するため、2000年4月29日にギブソン・ギター メンフィス工場内にオープン。2004年秋にビールストリートの少し南、B.B.キング・ブルーバード(B.B.King Boulevard)沿い、 ギブソン・ギター メンフィス工場の向いに移転しました。
メンフィス・ロックンソウル博物館はメンフィスで生まれたロックンロールとソウル・ミュージック、メンフィスをホームグラウンドとするブルースの黎明期から発展していく過程(主に、1930年代から70年代にかけて)を様々な展示と音楽で知ることが出来る本格的な音楽博物館です。
⇒ メンフィス・ロックンソウル博物館の場所と行き方
メンフィス・ミュージックが聴けるヘッドフォンガイド
メンフィスの音楽の歴史や軌跡などをショートフィルムやヘッドフォンガイドで知ることができます。ヘッドフォンガイドは英語ですが、入り口のカウンターで日本語に訳したガイドブック(ファイル)を借りることができます。また、館内の数ヶ所に展示に関連する曲が記されたボードがあり、ボードに記載された曲の番号をヘッドフォンガイドに入力すると、その曲が聞ける仕組みになっているので、その音楽をチェックするだけでも音楽ファンにとって楽しい博物館です。ワシントンDCのスミソニアン協会の協力のもと完成した見応えのある7つのカテゴリーに分かれた展示が自慢の博物館です。
1930年代の農村
ミシシッピデルタの田舎の農民は勤勉に働いても搾取され、人種分離により虐げられた日常生活を送り、宗教的信仰が救いで、音楽が数少ない娯楽でした。この展示では、ミシシッピデルタの農民がどのような暮らしをしていたかを知ることができます。このような生活の中からブルースやゴスペルが生まれました。
ミシシッピデルタの音楽
ミシシッピデルタで芽生えたブルースやゴスペルは、南部の文化として次世代へと伝えられました。それらの音楽は新しい音楽ジャンルを形成し、後のアメリカンミュージックの礎となりました。
ミシシッピデルタのミュージシャンたちは自分のオリジナル曲を作ったり、新しい奏法を生み出し、それらはレコーディングされるようになりました。多くの農民は蓄音機やラジオを所有し、ラジオで新しい音楽を知り、お気に入りのレコードを購入して楽しみました。
メンフィスを目指して
1930年頃のメンフィスは、コットンの加工工場や倉庫、港湾労働、建設関連などで雇用が増え、ミシシッピデルタに居た多くの小作人がメンフィスへ移住してきました。メンフィスの街は栄え、デルタブルースのミュージシャン達もメンフィスを目指しました。まだまだ、一般社会において人種差別はきつかったのですが、メンフィスの音楽業界においては、黒人音楽を流すラジオ局もあり、黒人と白人の混成バンドもありました。また、ライブ・ミュージックを演奏する店において、黒人がステージに上がることも問題の無いお店も多く、ブルースやリズム&ブルースなどの音楽が白人にも受け入れられていました。(他の都市では、バンドメンバーに黒人が一人でもいると出演拒否されることもあった)
サンレコードとヤング・カルチャー
サンレコードの創始者、サム・フィリップスは、白人、黒人に関わらず、あまりお金を持たない若いミュージシャンにチャンスを与えました。B.B.キングやハウリン・ウルフなどのデビュー盤などもサンレコードでレコーディングされました。また、1951年3月に録音されたジャッキー ブレンストンの「ロケット88」は、シカゴのチェス・レコードからリリースされヒットしました。サム・フィリップスは、このレコードこそ最初のロックンロール・レコードだと言いました。その後、エルビス・プレスリーを世に送り出し、ロックンロールが世界的に広がりました。エルビス・プレスリーの成功は多くの若者に夢と目標を与えました。
ソウル・ミュージック
ロックンロールだけでなくソウル・ミュージックもメンフィスで生まれた音楽です。ゴスペルをベースにしたソウル・ミュージックは、白人が経営するスタックスやハイ・レコードからレコードがリリースされ、黒人はもちろん、白人の間でも人気の音楽となり、世界中に広がりました。まだまだ人種差別がはびこっていた1960年代には黒人の自尊心を表明し、政治的変化を求める重要なメッセージを伝える音楽となりました。
社会的変化
メンフィスや南部の人種差別が激しい都市をはじめ、全米での多くの都市では、1950年代から60年代の終わりにかけて激変の時代となりました。特にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが公民権運動でアフリカ系アメリカ人を引率した時、メンフィスの通りやスタジオから噴出した音楽は、文化的、社会的、市民権革命をもたらしました。一例として、オーティス・レディングが作った「リスペクト」は、アレサ・フランクリンが歌詞を追加し、公民権運動のアンセムとなった事が挙げられます。
ブラボーギャラリー
メンフィスの多くのミュージシャン、レコーダー、プロダクションらによる音楽的業績は、メンフィスをアメリカのミュージカル・マップにおいて重要な都市に位置付ける事となりました。このブラボーギャラリーは、世界に影響を与えた偉人たちの敬意を表する展示です。
サンスタジオシャトルの発着所
このメンフィス・ロックンソウル博物館前は「サンスタジオ・シャトル」という無料のシャトルバスの発着所になっています。
メンフィス・ロックンソウル博物館 ⇒ グレースランド ⇒ サンスタジオ と巡回観光するのに便利ですが、席数が少ないので乗れない場合もあります。
時刻表は、観光案内所などで手に入れる事ができます。定員になれば、出発時間に関わらずに出発しますのご注意ください。
協力:メンフィス市観光局
メンフィス・ロックンソウル博物館の場所と行き方
Memphis Rock ‘n’ Soul Museum 191 Beale St, Memphis, TN
メンフィス国際空港からメンフィス・ロックンソウル博物館へ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
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