メンフィス音楽大殿堂博物館
Memphis Music Hall of Fame
メンフィス音楽大殿堂博物館は、メンフィスのダウンタウン、ビールストリートとセカンドストリートが交差する角にあります。
一世紀以上前に、いろいろな人種と背景をもつミュージシャン達がテネシー州 メンフィスに集まってきました。
その当時、アメリカの音楽はメンフィスで爆発し、アメリカだけでなく地球を揺さぶりました。
メンフィスのブルース、ソウル、R&Bはアメリカン・ミュージックの礎となり、音楽遺産となったのです。
⇒ メンフィス音楽大殿堂博物館の場所と行き方
メンフィス音楽の殿堂入り
メンフィス音楽大殿堂博物館(Memphis Music Hall of Fame)は、 偉大な功績を残したミュージシャンや音楽関係者を讃えています。
殿堂入りするミュージシャンや音楽関係者は、音楽協会の著名な作家、プロデューサー、歴史家などによってえらばれます。
殿堂入りの対象となるのは、ミュージシャン、プロデューサー、作詞家、作曲家、レコーディングエンジニア、プロモーター、ラジオの専門家などです。
2012年 殿堂入り
2013年 殿堂入り
2014年 殿堂入り
2015年 殿堂入り
2016年 殿堂入り
2017年 殿堂入り
2012年 殿堂入り
2012年に殿堂入りした25人
エルビス・プレスリー Elvis Presley
不動のロックンロールの王様(King of Rock and Roll)。若き日のジョン レノンに多大な影響を与えた。エルビスが居なければビートルズの存在も無かったかも。 ミシシッピ州 トゥペロの出身。メンフィスのサンスタジオでプライベートレコーディングをしたのがきっかけで世に出る。大スターになっても、メンフィスを離れることは無かった。
B. B.キング B. B. King
ブルースの王様(The King of Blues)で、多くのミュージシャンに影響を与えた。偉大なるブルースギタリストであり、偉大なるブルースシンガー。B. B.キングのB.B.は”Beale Street Blues boy”の略。まさしくミスターメンフィスである。
オーティス・レディング Otis Redding
ソウルミュージックの王様(King of Soul)。圧倒的な歌唱力と、凄まじいシャウトで聞く者の心を震わせる。1967年に開催されたモントレー・ポップ・フェスティバルに出演して有名になる。26歳の時に飛行機事故で亡くなる。わずか7年程の活動期間であったが、今なおアメリカの音楽に影響を与える。
W.C.ハンディ W.C. Handy
初めてブルースを採譜して出版したり録音したりして、ブルースが音楽文化の一つとなる礎を築いたことから”ブルースの父“と呼ばれる。ブルース進行のジャズのスタンダード・ナンバー「セントルイス・ブルース St.Louis Blues」の作曲者。
ブッカー・T & ザ・MG’s Booker T. & the MG’s
オルガン奏者のブッカー・T・ジョーンズを中心に、ギターのスティーヴ・クロッパー、ベースのルイス・スタインバーグ、ドラムのアル・ジャクソンにより結成された、スタックス・レコード専属のスタジオ・バンド。
オーティス・レディングやサム&デイブのバックを支えるだけでなく、バンドとしてのヒット曲を持つ。
ジェリー・リー・ルイス Jerry Lee Lewis
エルビスと同時代に活躍したロックンロールの先駆者のひとり。スキャンダルで人気が低迷した後、カントリー・ミュージックのシンガーソングライターとして成功しスターダムに上る。1986年に”ロックの殿堂”入りを果たしている。
デューイ・フィリップス Dewey Phillips
メンフィスのラジオWHBQのDJ(ディスクジョッキー)で、初期のロックンロールをラジオで流した先駆者のひとり。DJとしてのキャラクターを設定して演じる事でリスナーの心をつかんでいた。放送でエルビスのデビュー盤「ザッツ・オール・ライト/ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー(That’s All Right / Blue Moon Of Kentucky)」を最初に流したDJ 。
メンフィス・ミニー Memphis Minnie
ルイジアナ州出身の戦前のブルース ウーマン。メンフィスで音楽活動を開始し、レコーディング後はシカゴで活動し人気を得る。レコーディング数は200曲を超え、ヒット曲も多い。結婚歴は3回あって、いずれもブルースマン。メンフィスで亡くなる。
ジム・スチュワートとエステル・アクストン Jim Stewart & Estelle Axton
1957年に設立されたソウルミュージックの名門レーベル『スタックス・レコード』の創始者。Stewartの“St”と、Axtonの“Ax”を合わせて Stax という社名となった。メンフィスのソウル・ミュージックの発展に於いて貢献した。
ボビー”ブルー”ブランド Bobby “Blue” Bland
1930年1月27日、メンフィス郊外のローズマークで生まれたブルースシンガー。キャリアはゴスペルでスタート。深みのある歌声が特徴。ヒット曲の内、「Farther on up the Road」はエリック・クラプトン、「Ain’t No Love in the Heart of the City」はホワイトスネイクにカバーされるなどブリティッシュ・ロックにも影響を与え、1992年にロックの殿堂入りを果たした。
ルシー キャンベル Lucie Campbell
1885年4月30日ミシシッピ州 ダック・ヒル出身で、教師であり、宗教音楽の作曲家。100以上の作品を残す。
ジョージ コールマン George Coleman
1935年3月8日メンフィスに生まれたジャズ サックス奏者。1960年代にマイルス デイビスやハービー ハンコックと共演。2015年にNEA Jazz Masters の一人に選出された。
ジム・ディキンソン Jim Dickinson
デラニー&ボニー、リタ・クーリッジ、クリス・クリストファソン、アレサ・フランクリンなど多くのミュージシャンのバックを務めるキーボード奏者でプロデユーサー。ローリング・ストーンズの“ワイルド・ホース”のピアノも弾くなど一流のミュージシャンから絶大な信頼を得ていた。
アル・グリーン Al Green
1946年4月13日アーカンソー州出身のゴスペル&ソウルシンガー。メンフィスのハイ・レコード(Hi Records)からアルバムを出した。アルバム『Let’s Stay Together』(1972年)のオープニングナンバー「Let’s Stay Together」は、ビルボード・Hot 100で1位を記録、ビルボードのソウルチャートで9週連続で1位を記録した。
ハウリン・ウルフ Howlin’ Wolf
1910年6月10日ミシシッピ州出身の強烈なダミ声が印象的なブルースシンガー。メンフィスを拠点に音楽活動を行っていたがチェス・レコードと契約した後、シカゴに拠点を移す。1960年代のクリーム、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンに多大な影響を与えた。
ジミー ランスフォード Jimmie Lunceford
1902年6月6日ミシシッピ州出身のアルトサックス奏者で、30~40年代にスウィング バンドを率いてニューヨーク ハーレムのコットン・クラブで活動をしていた。
ウィリー・ミッチェル Willie Mitchell
1928年3月1日ミシシッピ州出身。メンフィス・ソウルのレコードレーベル ハイ・レコード (Hi Records)の名プロデューサー。アル・グリーンなど手がけたことで知られる。2010年1月5日メンフィスで亡くなる。
サム・フィリップス Sam Phillips
1923年1月5日アラバマ州出身。メンフィスのサン・スタジオおよびサン・レコードの創立者。ハウリン・ウルフ、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、エルビス・プレスリー、ロイ・オービソンを発掘した。1986年に最初の殿堂入りの1人としてロックの殿堂入りしている。
ザ・ステイプル・シンガーズ The Staple Singers
ローバック”ポップス”ステイプルズが娘や息子と組んだゴスペルグループ。時代に合わせてスタイルを変え、20年ぐらいの活動の後にスタックス・レコードと契約し、数多くの大ヒットを産む。1999年にロックの殿堂入りを果たし、2005年にはグラミー賞の特別功労賞を受賞。
ルーファス・トーマス Rufus Thomas
2001年12月15日メンフィス出身のソウルシンガー。スタックス・レコードやサン・レコードに所属。ヒット曲は「Walking the Dog」「Do the Funky Chicken」など。
ナット ウィリアムズ Nat D. Williams
メンフィスで最初のアフリカ系アメリカ人のDJ。
ZZトップ ZZ Top
1969年にテキサス州で結成されたトリオのロックバンド。結成当時はブルースロックを演奏しており、黒人のブルースマン達と一緒にツアーをしたりしていた。ローリング・ストーンズなどの大物ミュージシャンのオープニングアクトを務め、ヘッドライナーへと登り詰める。2004年にロックの殿堂入りを果たした。
アイザック・ヘイズ Isaac Hayes
テネシー州出身のミュージシャンで俳優。1960年代、スタックス・レコードでデイヴィッド ポーターと数々の楽曲を提供、プロデュースし、サザン・ソウルの発展に寄与した。映画『黒いジャガー』(1971年)の主題歌でアフリカ系アメリカンとして初めてグラミー賞受賞。2002年にロックの殿堂入りを果たしている。
スリー6マフィア Three 6 Mafia
メンフィスを拠点に活動しているヒップホップグループ。2005年に映画『ハッスル&フロウ(Hustle & Flow)』の主題歌「It’s Hard Out Here for a Pimp」でアフリカ系アメリカングループとして初めてアカデミー賞を受賞。
Professor W.T. McDaniel
詳細不明
2013年 殿堂入り
2013年に殿堂入りした13人
アルバート・キング Albert King
1923年4月25日 ミシシッピ州で生まれる。B.B.キング、フレディー・キングと並んで、ブルース3大キングの一人として名高いブルースミュージシャン。トレードマークのギブソン フライングVでのチョーキングプレイは、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスなどのブルース ロック ミュージシャン達に多大な影響を与えた。
ジョニー・キャッシュ Johnny Cash
1932年2月26日アーカンソー州で生まれたジョニー・キャッシュは、1955年6月サンレコードからシングル「ヘイ・ポーター Hey Porter」でデビュー。デビュー当時はカントリーチャートをにぎわすが、ルーツはゴスペル。後にロックのアプローチも見せており、カントリー・ミュージックの殿堂、ロックの殿堂、ゴスペル・ミュージックの殿堂と、複数の殿堂入りを果たしている。
2013年5月1日ナッシュビルのダウンタウンにジョニー・キャッシュ博物館がオープン。
バーケイズ The Bar-Kays
1960年代半ば、メンフィスで結成されたファンクやソウルを演奏するバンド。最古のファンクバンドとされている。1967年12月10日にオーティス・レディングと共に飛行機事故でメンバー4人が死亡。その後ジェームス アレキサンダーがバンドを再建し、70年代から80年代に多くのヒットを放った。
ブラックウッド ブラザーズ The Blackwood Brothers
ブラックウッド ファミリーによるゴスペル・グループ。1934年にミシシッピ州で結成。1970年代から1980年代にかけてグラミー賞を5回受賞。エルビス・プレスリーは、同じ教会に所属していたことから幼少のころからブラックウッド ファミリーのファンであった。1970年代、ブラックウッド ファミリーはエルビス・プレスリーのコーラスを担当していた。
ハーバート ブリュースター 牧師 Rev. Herbert Brewster
ハーバート ブリュースター 牧師は、アフリカ系アメリカ人のバプテスト教会の牧師で宗教作曲家の一人。ラジオ放送局WDIAのホストでもあった。ゴスペル音楽のパイオニアとして貢献した人物。
ローランド ジェーンズ Roland Janes
ローランド ジェーンズは、1933年8月20日アーカンソー州で生まれ、ミズーリ州 セントルイスで育つ。海兵隊退役後にメンフィスでジェリー・リー・ルイスやビリー リー ライリーのバンドでロカビリーギタリストとして活躍した。その後、サンレコードの名レコードプロデューサーとなり、初期のロックンロールの発展を支えた。
メンフィス ジャグ バンド Memphis Jug Band
1920年代後半から1930年代半ばにかけて活動したジャグ バンド。ギターやハーモニカを演奏するソングライターのウィル・シェイド(Will Shade)が中心となってメンフィスのアフリカ系アメリカ人ミュージシャンたちが、その都度に入れ替わってギグやレコーディングをこなしていた。
ウォッシュボード、カズー、ジャグが使われているのが、メンフィス ジャグ バンドのサウンドの特徴。
レコード・レーベルや楽曲のスタイルによってメンバーが入れ替わり、バンド名のクレジットが異なるが、最近ではシェイドが率いたグループは、メンフィス ジャグ バンドとして括られており、レコーディング数は80~100曲あると考えられている。
フィニアス・ニューボーン Jr. Phineas Newborn, Jr.
1931年12月14日テネシー州ホワイトヴィルで生まれたジャズ ピアニスト。父親はドラマーで弟はギタリスト。最初のキャリアは父や弟を含むR&Bのバンドで、1949年に録音されたB.B.キングのファーストアルバムで演奏をする。その後、ジャズピアニストとして活動し、ライオネル ハンプトンのバンドで活動したりチャールズ ミンガスと競演する。偉大なるジャズピアニストとして評価されている。
ノックス フィリップス Knox Phillips
サム・フィリップスの長男。
デヴィッド ポーター David Porter
デヴィッド ポーターは1941年11月21日メンフィスの生まれの作詞・作曲・編曲家,プロデューサー,R&Bシンガー。と共にソウルミュージックの名門STAXの多くの楽曲を作曲した。代表曲はサム&デイブのヒット曲「Hold On, I’m Comin’」「Soul Man」「I Thank You」
シッド セルバッジ Sid Selvidge
シッド セルバッジは、1943年にミシシッピ州グリーンビルで生まれたミュージシャン、ソングライター、レコードレーベルオーナー、ラジオプロデューサー。14歳の時にグリーンビルのラジオ局でDJの仕事に就く。その後、ブルース、フォーク、ロックを取り入れたユニークで個性的なスタイルでミュージシャンとして成功するが、1996年にビール・ストリート・キャラバンのラジオ番組のエグゼクティブ・プロデューサーとしてラジオに戻り、2013年に彼が死ぬまで務めた。
ケイ スター Kay Starr
1922年7月21日オクラホマ州出身。アメリカ先住民の血を引く女性ジャズ歌手で、グレン・ミラー楽団、ボブ・クロスビー楽団などを経て、1943~45年までチャーリー・バネット楽団に在団し名声を得る。「Wheel of Fortune」(1952年)「The Rock And Roll Waltz」(1956年)はBillboardやCashboxで1位を獲得。
カーラ トーマス Carla Thomas
1942年12月21日メンフィスの出身。60年代と70年代初頭のスタックスが輝かしい時代に、カーラ トーマスはソウルミュージックの女王だった。
18歳になる前に父ルーファス・トーマス(Rufus Thomas)とのデュエット曲「Cause I Love You」を録音しヒットさせた。18歳の時にソロシングル「Gee Whiz」は全国的なヒットとなる。1961年から1971年の間に6枚のソロアルバムと、オーティス・レディングとデュエットアルバムを1枚リリースした。
2014年 殿堂入り
2014年に殿堂入りした9人
リル・ハーディン・アームストロング Lil Hardin Armstrong
1898年2月3日メンフィスの出身。女性ジャズ・ピアニスト,歌手,作詞・作曲・編曲家、及びバンドリーダー。1918年に家族と共にシカゴに移る。楽器店などに勤務しながら独学で音楽活動を続け、1924年に同バンド(キング・オリヴァー楽団)に参加していたルイ・アームストロングと結婚。1938年に正式離婚後も音楽活動を続ける。1971年8月27日シカゴでTV収録のピアノ演奏中に倒れ1時間後に死去。死因は腎臓疾患に起因する心臓発作。
アル ベル Al Bell
1940年3月15日アーカンソー州出身。レコードプロデューサー、ソングライター、レコード会社重役。
スタックスレコードの再建に尽力した。スタックス倒産後はモータウン・レコードの社長に就任。現在はメンフィスの独立した音楽シーンで、オンラインミュージックのWEBサイトとラジオ番組を管理。
ビッグ スター Big Star
1971年メンフィスで結成されたパワーポップバンド。スタックスで3枚のアルバムを制作するが、配給元のトラブルで売れず1974年に解散。およそ20年後に新しいランナップで再スタート。2005年に4枚目のアルバム『In Space』を発表し絶大な評価を得る。
ジョン フライ John Fry
1944年12月31日生まれ。メンフィスのアーデント・スタジオを含むアーデント・レコードの創始者。アーデント・スタジオではレッド・ツェッペリン、オールマン・ブラザーズ・バンド、ZZトップ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、サム・アンド・デイヴ、アイザック・ヘイズ、ザ・ステイプル・シンガーズなどがレコーディングしたことで有名。ボブ・ディランやザ・リプレイスメンツを手がけたジム ディッキンソンを輩出した。
ビッグ スターのファーストとセカンドアルバムはジョンが手掛けた。
ファリー ルイス Furry Lewis
1900年3月6日ミシシッピー州グリーンウッド出身。1906年に家族と共にメンフィスに移住。鉄道事故で片足を失ったため、ギターと歌を取得し生計を立てた。華麗なスリーフィンガーと渋いスライドでメンフィスを代表するブルースマン。
チップス モーマン Chips Moman
1937年6月12日ジョージア州出身のソングライター、音楽プロデューサー。1964年にアメリカン・サウンド・スタジオ(American sound studios)設立。アメリカン・サウンド・スタジオは、エルビス・プレスリーが1969年にサン・レコード以来のメンフィスで録音をしたスタジオとして有名。レコーディング曲は「ケンタッキー・レイン(Kentucky Rain )」「イン・ザ・ゲットー(In The Ghetto)」「サスピシャス・マインド(Suspicious Minds)」。「イン・ザ・ゲットー(In The Ghetto)」は、第3位のヒットとなり、4年ぶりの全米トップテン入りした。
アン・ピーブルズ Ann Peebles
1947年4月27日ミズーリ州セントルイス出身の”メンフィス・ソウル・クイーン”と呼ばれる女性ソウル・シンガー。1969年にメンフィスのハイ・レコード(Hi Records)からレコード・デビュー。ジョン・レノンが「史上最高の曲」と称した言われる「I Can’t Stand The Rain」(1973年)は、ハンブル・パイ、ロン・ウッド、ティナ・ターナー等にカバーされている。
カール・パーキンス Carl Perkins
1932年4月9日テネシー州 ジャクソン出身のロカビリー・ミュージシャン。1954年よりサン・レコード・スタジオでレコーディングし、エルビス・プレスリーらとサン・ミュージックの黄金期を支えた、初期ロックンロールの立役者の一人。代表曲は「ブルー・スエード・シューズ(Blue Suede Shoes)」「マッチボックス(Matchbox)」「ハニー・ドント(Honey Don’t)」
ジェシ ウィンチェスター Jesse Winchester
1944年5月17日ルイジアナ州出身。1966年にドイツを旅した後、活動の拠点をメンフィスに移す。しかし、1967年にベトナム戦争への兵役拒否をしてカナダへ逃亡し、モントリオールで活動していたのを、ザ・バンドのロビー ロバートソンが発掘したシンガーソングライター。
2015年 殿堂入り
2015年に殿堂入りした7人
アルバータ ハンター Alberta Hunter
1895年4月1日メンフィス出身の女性ブルース・シンガー。11歳の時にシカゴに家出して歌手になり、1921年にニューヨークで初レコーディング。ブルースの曲を使ったミュージカルショウなどで活躍。1956年60歳の時に引退し看護婦となるが、80歳を過ぎて復帰した。
アル ジャクソン ジュニア Al Jackson, Jr.
1935年11月27日メンフィス出身の作曲やプロデュースもこなすドラマー。ブッカー・T &The MG’sのメンバーとしてオーティス・レディング、サム&デイブ、ルーファス・トーマスのレコーディングに参加。グループ解散後は、アルバート・キング、ロッド・スチュワートらをサポート。1975年、39歳の時に自宅に侵入した強盗によって射殺される。
メンフィス スリム Memphis Slim
1915年9月3日メンフィス出身。シカゴ・ブルースの名ピアニスト。1963年にフランスに移住しパリで活動する。1989年に”ブルースの殿堂”入りを果たした。
スコティ・ムーア Scotty Moore
1931年12月27日テネシー州ギャズデン出身のロカビリー、ロックンロール、カントリーのセッション・ギタリスト。1954年7月にエルビス・プレスリーと「That’s All Right」を録音。メンフィスでのローカル・ヒットとなり、エルビスはスターダムへ昇っていく。1954年から1958年まで、エルビスのバンドのリード・ギターを担当。エルビスが除隊後から1968年までは、リズム・ギターを担当。2000年、サイド面部門でロックの殿堂入りを果たした。
チャーリー リッチ Charlie Rich
1932年12月14日アーカンソー州出身のカントリーミュージック・シンガー。ロカビリー、ジャズ、ブルース、カントリー、ソウル、ゴスペルを折衷した音楽を演奏していた。「The Most Beautiful Girl」がU.S. country singles chartsとBillboard Hot 100 pop singles charts でトップに輝き、グラミー賞を獲得しました。
サム&デイヴ Sam & Dave
サミュエル デイヴィッド ムーアとデイヴ プレイターによるソウル/R&Bのデュオ・グループ。1961年マイアミで結成。1964年、スタックスでレコーディングし、アトランティック・レコードから出たアルバム『Hold On, I’m Comin’』が大ヒット。タイトル曲はR&Bチャートの1位を記録する。その後もヒット曲を出して1981年まで活動する。1992年にロックの殿堂入りを果たす。
ジャスティン・ティンバーレイク Justin Timberlake
1981年1月31日メンフィス出身のシンガーソングライターで俳優。6つのグラミー賞と2つのエミー賞を獲得している。1995年にポップグループイン・シンクに加入。2002年にグループが活動休止となりソロデビュー。ファーストアルバムは700万枚のセールスを記録。セカンドアルバムは初登場でビルボード200で初登場1位。
2016年 殿堂入り
2016年に殿堂入りした6人
ジョン・リー・フッカー John Lee Hooker
1917年8月22日 ミシシッピ州 クラークスデイル出身のブルース・シンガー、ギタリスト。ブギが得意で「キング・オブ・ブギ」と呼ばれる。1943年にデトロイトに移住し、音楽のキャリアもデトロイトでスタートした。1970年代に入るとカリフォルニア州へ移り、ロック系のミュージシャンとの共演が多くなる。アルバム『The Healer』(1989年)に収録された「I’m In The Mood」は、グラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・レコーディング賞を獲得。1991年にロックの殿堂入りを果たした。
ハイ リズム セクション Hi Rhythm Section
1957年にメンフィスに設立されたハイ・レコード (Hi Records)は、アン・ピーブルス、アル・グリーンなどのソウル系シンガーを輩出したが、レコーディング・サウンドを支えたのがハイ リズム セクション。
メンバーは、ギターのティーニー ホッジス(Teenie Hodges)を中心に、オルガンのチャールズ、ベースのリロイの3兄弟とドラムスのハワード グライムス。
チャールズ ロイド Charles Lloyd
1938年3月15日メンフィス出身のジャズ・ミュージシャン。テナー・サックスとフルートを演奏。1966年、フラワー・ムーヴメントの時代にキース ジャレット(ピアノ)やジャック ディジョネット(ドラム)と録音したサイケデリック・ジャズのアルバム『フォレスト・フラワー(Forest Flower)』が大ヒット。テナー・サックスの巨匠。
マルグリート ピアッツァ Marguerite Piazza
1921年9月23日ルイジアナ州 ニューオーリンズ出身のソプラノ歌手。女性エンターテイナー。1944年、ニューヨークシティオペラの最年少メンバーとなる。1950年、ブローウェイ・デビュー。人気が出た後は、舞台だけでなくTVなどでも活躍した。
サム・ザ・シャム Sam “The Sham” Samudio
1937年3月6日テキサス州出身のロックンロールシンガー。メキシコ系アメリカ人。1962年までルイジアナで活動し、翌年からメンフィスに活動の場を移した。「Wooly Bully」(1962年)「Li’l Red Riding Hood」(1966年)が共にLi’l Red Riding Hoodで2位のヒットを記録する。
ウィリアム・ベル William Bell
1939年メンフィス出身のソウルシンガー、ソングライター。スタックスの看板シンガーであったルーファス・トーマスのバック・バンドからキャリアをスタート。1961年にスタックスからデビュー。「You Don’t Miss Your Water」「Private Number」「Every Day Will Be Like a Holiday」などのソウルナンバーのスタンダードとも言える名曲を生み出している。
2017年 殿堂入り
2017年に殿堂入りした6人と1組
ジャック クレメント Jack Clement
1931年4月5日メンフィス生まれのカントリーミュージシャン。
カシエッタ ジョージ Cassietta George
偉大な女性ゴスペル歌手。ゴスペル・グループ、キャラバンズの一員。
メンフィス・ホーンズ Memphis Horns
メンフィス生まれのウェイン ジャクソン(Wayne Jackson)トランペット奏者とテナーサックス奏者アンドリュー ラブ(Andrew Love)が組んだホーン・セクションで、後に数人のユニットになる。スタックスをはじめ、多くのレコーディングに参加した。
ロイ・オービソン Roy Orbison
ヒット曲「オー・プリティ・ウーマン」(1964年)で知られるシンガー&ギタリスト。ジョージ ハリスン、ジェフ リン、ボブ ディラン、トム ペティという豪華メンバーでトラヴェリング・ウィルベリーズを組む。1988年12月6日(52歳)に心筋梗塞で亡くなる。
Irvin Salky
フランク ストークス Frank Stokes
フランク ストークスは、メンフィス・ブルースの父と呼ばれるデルタ・ブルース、 カントリー・ブルースのシンガー&ギタリスト。1888年1月1日にテネシー州 シェルビー郡で生まれ1955年9月12日にメンフィスで亡くなった。
モーリス・ホワイト Maurice White
1941年12月19日メンフィス出身。グラミー賞を6回受賞したファンクバンド、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのバンドリーダーでリードシンガー。スタックス・レコードからリリースされたアース・ウィンド・アンド・ファイアーのトリビュート・アルバム『Interpetations』(2007年)ではエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた。2016年2月3日没。
協力:メンフィス市観光局
メンフィス音楽大殿堂博物館の場所と行き方
Memphis Music Hall of Fame 126 S 2nd St, Memphis, TN
メンフィス国際空港からメンフィス音楽大殿堂博物館へ、車(レンタカー)で行く場合の一例。
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